香坂優さん アルゼンチンタンゴ歌手 タンゴプロデューサー「アルゼンチンタンゴの魂を歌う」
銀座ロイヤルサロン1週目
由結:さぁそれでは本日の素敵なゲストをご紹介致します。アルゼンチンタンゴ歌手・タンゴプロデューサーの香坂優さんです。よろしくお願い致します。
香坂:はーい!こんばんは、香坂優です。よろしくお願いします。
由結:お忙しい中お越し頂いて、本日は本当に楽しみにしておりました。
香坂:ありがとうございます。
由結:さて、いきなりですが、香坂さんはなぜ”タンゴ歌手”になられたのでしょうか。
香坂:そうですね。タンゴでもヨーロッパの”コンチネンタルタンゴ”と言うのもあるのですが、私が歌っているのは”南米のアルゼンチンの国民の音楽”ですね。”文化”ですね。アルゼンチンタンゴを歌っております。
由結:あー!なるほど!とても情熱的というイメージがあるのですが。
香坂:ねー。皆さんそう言いますよね。ダンスがまず情熱的と言うか、あまりに色っぽい。男性と女性がしっかりと抱き合って踊ると言うのが。そしてまた足のさばきがちょっと信じられないような速い動きでね。その辺から情熱的と言われるのですが、私が歌っているアルゼンチンタンゴの歌は情熱的と言うよりは”文学的”なのですよ。
由結:文学的?
香坂:はい。”愛”を歌っている。つまり”愛”でも色々な”愛”があって、それを非常に文学的な詩の形にして、非常に奥の深い。そういったものを歌っているので、決して男女の色恋沙汰とか、そういったものばかりではないのですよね。一曲歌を、詩を読み解いていくと一冊の本を読んでいるような。それくらい味わいがありますよ。
由結:奥深いのですね。多分始められた時は日本人でも珍しかったのじゃないですか。
香坂:そうですね。過去においてはご高齢のかたは皆さんご存知ですけれども、”藤沢嵐子さん”と言うかたが日本ではタンゴ歌手としては大変ブレイクをして、有名なかたがいたのですが。その藤沢嵐子さんがご高齢になって引退なさったあとは、もうずっと何十年もタンゴ歌手が出てこないと言う、そういうジャンルだったのですね。なので、私がタンゴを歌いだした時は本当に珍しがられましたね。「今時タンゴなの?」と言って。もうすっかり皆さんが忘れていたジャンル。
由結:そのジャンルに挑戦することはご自身が決められたのですか?それとも?
香坂:当時私も、今から30年も前なのですけれども。当時シャンソンを歌ってまして、それであるきっかけから”淡谷のり子さん”と知り合いになりました。それで淡谷先生に、当時私シングルマザーで、娘を一人抱えて非常に苦労しておりました。いわゆるシャンソンの夜店ですよね。ライブハウスそこを1ヶ月の内、20日も25日も歌って、娘がいつも一人で鍵っ子で待っていると言うような、そういう環境だったものですから、「このまま歌手を続けて行って本当に私はやっていかれるのかどうか」と一番悩んでいた時に淡谷のり子さんとジョイントコンサートと言う形でチャンスを頂いたのですね。
由結:素晴らしい!
香坂:それで淡谷先生にその時初めてステージでお目にかかって、それでその日仕事終わって舞台から下がって、楽屋の先生の所にご挨拶に行った時に、「先生、私このまま歌手としてやっていかれるでしょうか?」というふうに思い切って聞いたのですよ。そしたら淡谷先生がメイキャップを落としながら私を振り返って「貴方いくつまで歌いたいの?」と仰ったの。それであんまり考えていなかったご質問だったので、もう言葉を失って「先生の年までも歌いたいです!」と、デマカセを言ったのですね。そしたら「貴方の歌を今日聞いてましたけれども、今の発声だったら、もう50歳過ぎた時に声はでなくなりますよ」と言われて。
由結:うわー、ショックですよね。
香坂:ショックです。それでまた自分が思ってもいないのに「先生、ではヴォイストレーニングの先生を紹介してください。先生の年までも歌いたいですから」と言って。そしたら先生は黙って私を見て、「わかったわ」と翌日お電話をくれて、それでヴォイストレーナーの先生を紹介してくれて。それから2年間、言われたヴォイストレーナーの所にレッスンに通いました。2年後、その先生が「もう貴方に教えることはありませんから、淡谷先生にはお電話をしてありますから、もう明日から来なくていいですよ」と言われたので、すぐ家に帰って淡谷先生にお電話したのですよ。そしたら電話口の向こうでケラケラケラと笑われて、「貴方本気だったのねぇ~」と言われたのですよ。
由結:それはお試し期間だったと?
香坂:そうです。2年間本当に私がやる気があるのかどうか試されて。それでその次に仰ったのが、そのボイストレーニングの先生が凄く厳しい先生でね、「よくあの先生の所に2年行ったわね。まぁいいわ。来週うちにいらっしゃい。」と言われて先生の所に伺って、それから先生の直々のレッスン受けました。そしたらある時私の顔をじっと見て、「貴方はシャンソンは合わないわ」と言われたんです。
由結:えー!青天の霹靂!
香坂:2年試されて、挙句の果てに「シャンソンは合わないわ」と。「どうすればいいの?」と。そしたら先生が「貴方はお腹の底・心の底から声をしっかり出して感情をぶつけるように歌いたいでしょう?貴方が歌えるのはアルゼンチンタンゴしかないわ!」と言われたの。それでびっくりしましたよね。でも先生、あんな難しいもちろん藤沢蘭子さんの歌は聞いていますから、よく知ってますけれど。「タンゴと言うのは難しいからあれは私には歌うものじゃなくて聞くものです」と言ったら「だったらもう歌手をやめなさい」と。”「タンゴを歌わないなら歌手をやめなさい」”と。
由結:厳しいですね!
香坂:「歌手をやめるか、アルゼンチンタンゴを歌うか。どちらかに決めなさい。」と。
由結:二択だったと言うことですね。
香坂:そう。娘を一人で「これからどうやって育てていけばいいのか」そちらの心配もあるし。ましてや、タンゴと言うのは難しいですから、一からスペイン語を勉強しなければいけない。「これはとてもできない。先生無理です。」と言ったら、「あっそ。じゃあもううちにもレッスン来なくていいわ。もう歌手はおやめなさい。」と言われて、「じゃあ先生一週間だけ考えます」と言って考えて。でももうその時私覚悟ができてましたね。そこまで先生が言うなら、”YES、やります”と言うしかないなと。でもちょっと覚悟するには少し時間が欲しかった。
由結:そうなのですね。
香坂:うん。それで先生に「やります」と言ったら、即マネージャーからお電話があって、「3ヶ月後にアルゼンチンのコルドバと言って、第二の都市の大きな都市で音楽祭がある。淡谷のり子が招待をされているけれども、もう地球の反対、年齢も年齢なのでとても行かれないので、淡谷のり子の代わりに貴方が行ってあちらで歌っていらっしゃい。3ヶ月後に7曲。スペイン語で覚えて歌っていらっしゃい。」と言われて。
由結:凄い。無理難題な気がしますけれども。
香坂:無理ですよ!「無理!無理そんなの!」と。だけどもうしょうがないですね。それでその翌日東京の私の友人と言う友人に電話して「お願いだからアルゼンチン人を探して!」
スペイン語でも、アルゼンチンのスペイン語は本国のスペインのスペイン語とはちょっと違うんですね。それで「東京にいるアルゼンチン人の女の人を探して!」と言って、皆に召集をかけたら見つけてくれました。それでスペイン語の練習に通って、3ヶ月後にコルドバの州政府主催の音楽祭に、観客2000人の前で7曲歌いました!
由結:うわー!いきなり2000人の前で!?
香坂:うわーでしょう?今でも思い出すと情景が出てくる。
由結:その時は「できる」と思ってやられてたのですか?
香坂:とんでもない。できるなんて思いませんよ。でも「失敗するだろうな」。でもそしたら「先生にできません」と言えるし「もう無理だ、もう絶対無理だわ」と思って。でもやっぱりトライしてみることに意味があるし、淡谷先生がそれだけ私に、タンゴが向いていると言われたわけだから。それを一回自分でタンゴと言うものがどういうものか。その時はやっぱりやってみないとねと言う興味ですよね。ただの興味。難しいけれど。それでブエノスアイレスに行って、そこからコルドバに行き、その音楽祭に臨んだという、ただもう無我夢中でした
由結:すごい体験ですね!
香坂:そうですね。ただその時淡谷先生が「一人で行ったら荷が重いでしょう?」と言うことで、もう一人日本から男性歌手をご一緒に。そのかたは全曲日本語で歌われましたけれども。そのかたと二人、淡谷先生が歌うべく時間を二人で半分ずつ20分ずつ。とりあえず二人で40分。向こうに行ったら素晴らしいプログラムができていて、そしたら本番の当日のリハーサルに私と行った相棒の男性歌手がホテルの部屋から出てこない!その前日リハーサルやった時にもう彼は足がガタガタ震えて「大丈夫かな?」と思っていたら、こんなこと言ってはなんですが、もう30年も前のことですからね。ビビっちゃったんですね。
由結:大変なハプニング!
香坂:それで当日ホテルの部屋から出てこない。それでアルゼンチン人のプロデューサーに、「どうしましょう?」と言ったら「問題ないよ!その40分君が一人でやってくれたら問題ないよ!」と言われて、私が一人で7曲を、同じ曲を二度歌ったりして。
由結:はあ~素晴らしい度胸がおありだったのですね。
香坂:はい。今では楽しい思い出です。
由結:さて、ここで本日はこの香坂さんの曲を一曲お聞かせしたいとおもうのですけれども。
香坂:ありがとうございます。” La Cumparsita ”。これは丁度この歌ができて、今年で102年と言う。タンゴの中では一番古い歌ですね。
由結:はい。それではお聞きください。どうぞ。
【歌:La Cumparsita】
由結:わぁ、本当に素敵!この曲即興で歌われているのですよね?
香坂:そうです。ピアニストの”ファン・トレピアーナさん”と言うかたをアルゼンチン・ブエノスアイレスからお呼びしてやったのですけれども、いわゆる古典タンゴばっかりを入れたアルバム「Tango Blood Moon」は”アマゾンレコード”から世界発売されているのですけれど、トレピアーナさんの提案でいわゆる”パリージャ”。タンゴの世界で”パリージャ”と言うのは”即興”なのですね。つまり譜面無し。もちろんタンゴの曲・メロディーと詩はありますけれど、それをどう歌ってもいい。それでトレピアーナさんもリハーサルやりませんので、その本番でどういうフレーズがくるか分からないと言う。お客様に入って頂いてライブのレコーディングだったの、やっぱり今聞くと相当恐々歌ってるなと思うのだけれど、怖かったですね。
由結:えー、そうなのですね!でもいつも本当に度胸がおありでいらして。
香坂:度胸。でもやって初めて、”パリージャ”がどういうものか。尻込みして譜面がないと言う所でどうフレーズがくるか分からないと言っても”ピアニストはピアニストの世界”、”私は私の世界”で二人の調和なので、それがどう調和するかと言う所はやってみないと分からない。だから経験させてもらったことにトレピアーナさんが「パリージャでやろう!」と提案をくれたことにまず大感謝で。それでやらせて頂いたと言う所です。
由結:素晴らしいかたがたと出会ってきたと言うことですので、次週また詳しくお聞かせ頂きたいと思います。それでは香坂さん本当にありがとうございました。
香坂:ありがとうございました。
銀座ロイヤルサロン2週目
由結:さぁそれでは本日の素敵なゲストをご紹介致します。アルゼンチンタンゴ歌手・タンゴプロデューサーの香坂優さんです。よろしくお願い致します。
香坂:はい、こんばんはー!
由結:こんばんは。
香坂:香坂優です。
由結:はい。二週目ご登場頂いております。
香坂:はい。ありがとうございます。
由結:よろしくお願い致します。先週も情熱的なお話と言うか、凄く度胸の。
香坂:突拍子もないお話。
由結:パワーを頂きました!今週も伺っていきたいと思います。早速ですが、”タンゴ”と言うのは聞き慣れているようで、知らないと言うかたも多いと思うのですが、どんなものなのですか?
香坂:タンゴでもヨーロッパで生まれた”コンチネンタルタンゴ”。それからアルゼンチンで生まれた”アルゼンチンタンゴ”。二つ種類があるのですけど、私が歌っているのは”アルゼンチンタンゴ”と言うジャンルで。それでこれはアルゼンチンのいわゆるブエノスアイレスの音楽・都会の音楽なのですね。同じアルゼンチンの広大な広い土地の中でも、いわゆる田舎と言ってはアレですが、パンパ・草原があるよなね。ブエノスアイレスの大都会以外の土地の音楽は”フォルクローレ”があるんですね。いわゆる”民謡”と言うような。地の人達に密着しているようなね。それでアルゼンチンタンゴと言うのはアルゼンチンの音楽ではありますが、強いて言うならばこのブエノスアイレスの首都の音楽なのですよ。非常に都会的な。なので元々アルゼンチンと言う国はヨーロッパからの移民のかた達でできている。そういう国ですので、ヨーロッパのフランスそれからスペイン、イタリア。それからオランダ、ポルトガル。あの辺のヨーロッパの色んな国からいわゆる土地が豊かな、”緑の大地アルゼンチン”を目指して皆さん一攫千金と言うか。成功を夢見て船で渡られた人達がブエノスアイレスに「自分達の故郷のやっぱり趣きのある音楽を作りたい」と言うので、そういう所から”南米のパリ”と言われているのですけれども。
由結:なるほど。
香坂:そこに”ヨーロッパの人達の文化性”と”アルゼンチンの中南米から南米の風土”。ああいったものを併せ持って独特なリズムができた。それが”アルゼンチンタンゴ”で。大体今から150年ぐらい前からいつの間にか船で”バンドネオン”と言う独特のタンゴになくてはならない楽器が登場します。丁度アコーディオンをちょっと小さくして四角くしたような。あの楽器を船で移民をした移民の人達が船に持ち込んで、最初は教会で使われていたのですよ。それがだんだんタンゴのいわゆる”メロディー”、それから”曲調”の中に。バンドネオンと言うのは非常に何と言いますか、木でできていて非常に湿りっ気のある独特な音なのですよね。あれがタンゴには無くてはならないと言われて。かたや一方ヨーロッパではコンチネンタルタンゴではアコーディオンでもOK!
由結:へえ、同じタンゴにも違いがあるのですね。
香坂:そうなのです。アルゼンチンタンゴはバンドネオン。コンチネンタルタンゴはアコーディオンでもOKと言うの。ヨーロッパのちょっと洗練された。そういった雰囲気の持ち味のタンゴのリズムと言うのがコンチネンタルタンゴ。この二つなのですね。
由結:いやー!大変勉強になりました。香坂さんはブエノスアイレスに単身で乗り込んでと言うか、お勉強をなさったわけですよね。最初行かれた時はどんな心境でしたか?
香坂:前回お話したように淡谷のり子さんが「貴方の声はタンゴ。タンゴをやりなさい」と言う命令でしたので、コルドバの音楽祭に出て帰ってきてすぐご報告に淡谷先生の所に行った時に「淡谷先生、タンゴこれから教えて下さいね」と言ったらば「私では無理よ」と。「じゃあブエノスアイレスに勉強に行ってらっしゃい」と言われて、娘一人抱えて「どうすればいいの?」と思いましたけど、もう教えてくれる人が日本にいなければ行くしかないと言うので、一番最初1992年ですか。単身で娘を一人置いて、娘が中学の一年生ぐらいでしたね。それでまず2ヶ月単身で参りました。最初は淡谷先生があちらの日本人のプロデューサーを紹介してくれて、いきりなりプロの世界に入ったのだけれども、2ヶ月で毎回ヴォイストレーニングのレッスンを受けて、それでスペイン語の発音のレッスンを受けて、それからタンゴの歌を教えてくださる先生について。でも案の定2ヶ月で挫折をして、「もうできないわ」と思って諸手を挙げて「もう降参!」と言う気持ちで、日本に帰ってきたんです。それで淡谷先生の所に。丁度先生のコンサートの楽屋に伺って、もう喉まで言葉が出かかって「もうできません」と、もう先生に「タンゴはとてもできない、もう挫折しました」と言おうと思った時に先生が机をドンッ!と叩いて「あんたはえらい!よく行った!」「よく勉強に行った」と言われて、「辞めます」と言えなくなっちゃったの。それでもうしょげてね。もうガッカリして、「どうすればいいの?もうしょうがないわ」と思って、また考えていたんだけども、一度あちらでお勉強して、向こうのタンゴのプロの世界をちょっとだけ垣間見たわけですよ。そしたらもうその魅力的なドキドキするような彼らのその音楽に対するいわゆる”真摯な態度”。それから歌手の朗々とした有り余る声で喜怒哀楽を自由に歌い上げるあの表現力。そういったものがもう日に日に忘れられないわけ。それでまたその翌年。今度は3ヶ月予定を立てて、娘を説得して「お願いだから行かせて頂戴」と言って3ヶ月行きました。また挫折して帰ってきたの。
由結:あー、なるほど。そんな甘い世界ではないのですね。
香坂:そう!それでまた挫折をしたんだけども、また淡谷先生の所に行ったら「よく行ったわね」と。「歌手は勉強するのが歌手なのよ。勉強しない歌手はカスよ」とか言われて、「あら、キツイこと言うのね」と思って。それで翌年また3ヶ月。また挫折をして帰ってきましたね。その次に行った時に素晴らしいマエストロに何人も巡り合ったのですよ。そこからです。本気でやってみようと思ったのは。
由結:出会いが決断を促したのですね!
香坂:そうです、もちろんです。”音楽性”とか”音楽”と言うよりも、”巡り合ったマエストロ”、いわゆる”マエストロ”と言うのもスペイン語で”先生”と言うことですね。その先生達の”世界にタンゴを広めた人達。”タンゴを作ってメロディーを書き、詩を書き世界で色んな所で演奏をして、タンゴと言う魅力を存分に発揮して、タンゴを外国に植え付けた、種を植え付けた人達に巡り合った時に、もう素晴らしいその人達のやっぱり”情熱・信念・勇気”そういったものにまず魅了されましたね。
由結:なるほど。その出会いで様々な影響を受けて香坂さんの中で何か変化と言うのは起こったのですか?
香坂:もちろんです。「何故こんな素晴らしいマエストロ達が」まぁ私の周りで凄いかたと言うのは日本で言うとクラッシックの世界のかた。いわゆる我々のポピュラーソングの中で言えばヒット曲を出した演歌歌手とかそういう人達しか周りにおりませんでしょう?だけどタンゴの世界のマエストロ達はもう”人間そのものが音楽をする為に生きている”。もう全てが。それでレッスンを受けると何も教えてくれない。「自分で気が付かなかったらタンゴは歌えないよ」と言って、習いに行っても大事な所、譜面に何も指示が書いてないけど、私がその大事な所を理解してなければレッスンの伴奏をしていても、そこで止まるんですよね。「まだ無理だよ、この曲は。」と返される。「どこが無理なの?」と。教えてくれない。自分で気が付かなかったらタンゴは歌えない。それで今度は「どこが違うのかしら?」と思って、レコード店に行って、その歌を歌っている歌手のテープを全部買い占めて聞くわけですよ。何度も何度も。「あー、ここが違うのかな?あっ、これかな?」と思って次にレッスン行って、また違うと「無理だよ」と返される。それができるまで・自分で気が付くまで。
由結:なるほど。手厳しいですね。
香坂:そうです。そういう先生。それから”マリアーノ・モーレス(Mariano Mores)”と言う素晴らしいタンゴのいわゆる大重鎮。今はもう亡くなられましたけれども、ヒット曲を沢山世に出したピアニストであり作曲家であり。そのマリアーノ・モーレスさんがご挨拶にご自宅に行ったら私が喋っている声をとても気に入って「ちょっとおいで」と言って、レッスン室に連れて行かれて、そこから猛烈なレッスンを!
由結:そうなのですね。でも中々受けることのできない貴重な時間でしたよね。
香坂:はい。そのレッスンで言われた言葉一つ一つが、もう宝物のようなものです。歌に取り組む姿勢、それから歌をどういうふうに自分が理解するか。”歌に対する思考・意識”そういったものを教わりましたね。もう全部素晴らしかった!
由結:素晴らしい!本当に人が香坂さんの人生を変えたと言うことですよね。さぁそれでは最後に香坂さんの”愛の讃歌”と言うアルバムの中から”麗しき人生”をお聴きしたいと思います。
香坂:はい。これは今から3年なりますか。3年4年なりますね。”越路吹雪さん”の没後35周年の記念と言っては何ですが、没後35周年を記念してキングレコードが”タンゴ歌手が歌う越路吹雪の世界”と言うことでCDを出してくれて。その中に”麗しき人生”と言う、これ私のオリジナルなのですが、越路吹雪さんの歌の人生歌手の人生を歌っている歌です。
由結:はい。それではどうぞお聞きください。
【歌:麗しき人生】
由結:ありがとうございました。とても素敵な歌声で。
香坂:あー!ありがとうございます!
由結:この日本語の曲は、このレコーディングされた時久しぶりだったそうですね。
香坂:そうですね。もう何十年もスペイン語で歌っていましたので、このキングレコードから出したレコーディングが決まったあと、「日本語どうやって歌えばいいんだろう?」と。
日本人ですけど、あまり長い間日本語で歌うことを忘れていたので。やっぱり外国語は子音が中心と言ってもいいくらい。でも日本語はいわゆる「あえいおう」の母音で成り立っているので、母音がはっきり発音できないと言葉が分からないんですね。それに本当に苦労しましたね。
由結:貴重なCDですので、是非皆様チェックなさってみてください。さぁそれでは二週に渡りまして、香坂さん本当に素敵なお話ありがとうございました。
香坂:ありがとうございました。
プロフィール |
生まれながらにして歌の才能に恵まれ、3歳で放送局の“子供のど自慢”に優勝して以来歌手を夢見る。テレビの司会者ラジオのMCなどのタレント、レポーター、声優、コマーシャルソング歌手、シャンソン歌手など幅広い分野で活躍。その後、淡谷のり子に師事し、師の勧めによりタンゴを歌い始める。1992年より本場アルゼンチンのブエノスアイレスに単身留学を重ね、タンゴ界の重鎮マリアーノ・モーレス氏に認められた歌手として話題になり、1994年ブエノスアイレスでタンゴ歌手デビューを果たす。日本の歌謡界にもメジャーデビューを果たし、和製タンゴ曲をはじめオリジナル曲に挑戦。コンサート活動のほか、日本橋三越カルチャーサロン講師やプロ・アマのボーカル指導も行っている。 |