風間深志さん 冒険家「趣味=自分探求」
目次
銀座ロイヤルサロン1週目
風間さんが冒険家と名乗るようになった理由
由結:さぁそれでは本日の素敵なゲストをご紹介致します。冒険家・風間深志さんです。よろしくお願い致します。
風間:はい、こんにちは。どうもー!素敵なゲストです!そうかな?(笑)
由結:ありがとうございます(笑)今日は本当に楽しみにしておりました!
風間:本当ですか、ありがとうございます。
由結:早速ですが、“冒険家”はいつから名乗っていらっしゃるんですか
風間:30歳からですからね、あれから3年しか経ってませんので。正確には40年ですね(笑)
由結:はあ~生き方によって時間のスピードが違うんですね(笑)!
風間:昔は僕が”冒険家”と言った時正直言って周り見ても”冒険家”と言っている人はいませんでしたね。それだけ定番じゃなかったね、肩書きとして。それで「それって何ですか?」とよく聞かれたからね。それでいちいち答えるのが恥ずかしくてね、必死で「冒険家です」と言っているんですね。あるわけがあってね。
由結:わけ?
風間:僕は”バイク乗りの、バイクの冒険家”だから。バイクの社会的地位を高めていこうと。それでその手段としてエンターテイメントを皆さんにお見せするのが一番理解してもらえると。冒険と言うのは”夢が伴う”じゃない?
由結:なるほど。そうだったのですね。
風間:「夢に向かって行くんだ」と、「暴れまわって悪いことしてるんじゃねぇんだよ」と言うことを。それも夢に向かって行く象徴的な所ね。エベレストの頂点とか目指すとか。極点に行くとか。そういうのは一つの人間にとって誰しもがもってる一つのロマンでしょう?そういった所にバイクで行くことによって普通の登山や皆さんと同じ夢を。「僕は靴履かないでバイクに乗ってやるんだよ」と言うことを言いたいわけ。
オートバイによる史上初の北極点・南極点到達/チョモランマ挑戦時の世界最高高度記録
由結:北極点と南極点まで到達されたそうですね。
風間:そう、行ってきましたよ。
由結:あの重いバイクとともに移動…!想像を絶すると思うのですけれども。
風間:それも一つもね。ただ僕はマゾヒストなのだけど、別にマゾヒストと言う結果論においてマゾヒストなのだけども、マゾは好きなわけじゃないんだよね。結局バイクで、例えば山に登ると言うのは僕はバイクが自由自在に駆け巡る自然が大好きなんですよ。野・山・川・湿地帯・森林の中・砂浜、砂漠ね。だからそういった所・自然が大好き。それで「大好きな自然の地上の標高の頂点はエベレストにあるな」と。「この頂点も僕の世界なんだ」と。それで「”ここに行けなくても行く”と言う自分を大事にしよう!」と。それはものを言わさず「バイクを好きだ」と言う一つの表現なんだよね。それで「行きたいけど行くのやめよう」と言うことは、バイクをそれだけ僕は半端にやっていると言うのは嫌なわけ。だから思い付いちゃったら行かなきゃいけないんだよね。真面目な話だけど。
趣味=自分探求
由結:いやいや。何と言うか、”バイク愛”が強いんですね。
風間:愛?愛なのかな?まぁ自分自身だからね。
由結:バイク、イコール自分自身、だと?
風間:バイクはね思いっきり突っ込んでいくと”バイクは自分”なんですよ。つまり趣味と言うのはそうなんだよね。これに全てを向けて、あらゆる時間を投入して、あらゆるお金も投入して、時間も自分の全てを投入すると言うことは。それは”趣味”と言うの媒介であって結局は自分自身の追及なんだよね。だから”自分を大事に出来るか”と言うことになるのかな?だからこれは芸術をやっている人も、何をやっている人もそれはテーマであって実は”自分探求”。
由結:自分と向き合う時間と言うか…。
風間:そういうことなんだよね。それが楽しいんだよ。それが人生ですね。偉そうに言っていますけど。
若い方もぜひオートバイに興味を持ってほしい
由結:いやー、深い!奥深いお話で考えさせられます。オートバイの業界と言うのも「もっと活性化すれば良いな」と私は思いますが。若いかたにもお勧めしたいポイントと言うか、「こういう所楽しいよ」みたいな所ありますか?
風間:そうだね。今バイクに乗る若い子が少ないんですね、非常にね。僕の仲間は40代50代60代が多くて、30歳もいますけどね。それで下に行くに従って少ないんですね。やっぱり別にバイクに限らすあまり”リスクを好まない”と言うかね。身近な楽しみ、SNSを通じて皆でコミュニケーションとかね。そっちに向いちゃってるんだよね。だけども僕、バイクと言うのはリアリティの世界だから、バイクに乗って出会うものは”超自然そのもの”。”雨・風・寒い・暑い・臭い”。”いい景色”「痺れるー!」みたいなものは全部”超リアリティ”なんですよ。そういうバーチャルよりかリアリティーのほうが本当に人間を動かすんだよね。やっぱりそこにはバーチャルじゃない所には何があるかと言うと、やっぱり生身の自分がをかけてるわけですね。”生死をかける”、”命をかける時間”と言うのはやっぱり人間には大事!
由結:なるほど。“自分自身に戻る”感じでしょうか。
風間:そうだね。やっぱり楽しく生きて、生きながらえて、それでまた家族のもとに帰って会話を交わす、美味しいものを食べて何かを共有すると言うことが大事ですね。お坊さんみたいなこと言っていますけどね。
風間さん流・子育て術
由結:やはり息子さんも同じ道を歩まれていらっしゃると言うことなのが、教育の面で、どういうふうに育てられたのですか。
風間:僕は子どもと週末のキャンプ・アウトドアに明け暮れましたね。高校生になった子どもが。僕は思い出すけどね。普通は大体女の子だったら”旅立ち”、自分の家族からね。家族と一緒にやるのが、中学生になったらなくなるね。それで男の子も中二になったらいなくなるね。でもウチの子は高校生になっても「お父さん、今度の週末はどこに行くんだ?」と必ず聞くわけよ。もうこれ繰り返し言ってたから。キャンプね。それでキャンプも春夏秋冬あるでしょう?川辺に行く、海辺に行く、山岳地帯に行く、水晶掘りに行く。宝石掘りに行くんだよ?もうそういう面白さを常に常にやるわけ。
由結:わー、素晴らしい体験!お子さんも喜んだでしょうね。
風間:早いとこ子ども達が自分のもとからいなくなると言うのは、これはお父さんがオーガナイズしている旅がつまらないと言うこと。「親父面白くねーんだよ」と言うこと。だから自分のほう行っちゃうわけ。でも自分が面白ければ結構居てくれますよ。だから僕の子ども達も一団となってキャンプやりましたけどね。キャンプと言うのは自然の中に行くんですね。自然が全ての先生です。それでその”自然が教える言葉に耳を傾ける・自分が感じる”と言うことが僕の教育の方針でね。僕は何も教えない。それで僕がやっぱり自然に冷たい雪の中に手を突っ込んで「うー!寒い!」と言うね。あるいは驚く程一枚の写真を収めておきたいような、月と金星みたいなとこが富士山に沈もうとした時に、僕が車を降りてパシッと撮ると。それで車に戻りながら「くー!最高!」とか言うわけ。これを子どもが見てる。「何親父最高なんだろうな?」と。それが教育なんだよ。僕の方針ね。”何も教えない”。
由結:なるほど、背中を見て育つと言うことなのですね。
風間:だからろくなもんじゃないけどね。
由結:いやいやいや。
風間:僕の基準においてはいい感じがちゃんと写ってる。でも色々世の中は価値観が色々違うでしょ?いろんなことを知識として沢山蓄えていると言うことだったり、色々と違うからね。でも僕の人生観と言うか、僕が人間として太くなって。だからあまり夏「寒い」とかね。夏の「暑い寒い」は言わないんですよ。子ども達は、言わない。だって冬は寒いんだから。
由結:「当たり前を感じる」と言うことですね。
風間:そうそうそうそう。そういう意味の強さはあるね。
窮地に立つ経験のひとつひとつが光り輝く思い出
由結:今までも様々な冒険をなさっていらっしゃいますけれども、“心に残っているもの”のひとつ、お聞かせ頂けますか。
風間:一個一個の冒険の中で皆ちょっと窮地に立たされたとかね。やっぱり”自分がうめき声のように何か喉からついて出た言葉みたいなこととか弱音とか強がりとかね。そういう窮地に立った時になんと思うか?”と言うことが一つ一つの思い出として凄く光ってますね。
由結:窮地に立った時!
風間:うん。やっぱりとことん追い詰められると人間は本当のことを思うからね。そういう意味で僕もそういう冒険をしながら”家族の大切さ”・”会社の同僚の素晴らしさ”ね。”日常世界の何よりも素晴らしさ”ね。越えたものを感じて帰ってきますね。”可愛い子どもには旅をさせろ!”と、親父とお袋は思っていたかな。
由結:”旅をさせろ”!この話の続きを是非次週もお聞かせ頂きたいと思いますので、是非宜しくお願い致します。
風間:本当ですか。ありがとうございます。
由結:風間さん来週もどうぞよろしくお願い致します。
風間:よろしくお願いします。
由結:ありがとうございました。
銀座ロイヤルサロン2週目
すべての冒険が“ピンチ”の連続
由結:さぁそれでは本日の素敵なゲストをご紹介致します。冒険家の風間深志さんです。よろしくお願い致します。
風間:はい、こんにちは。どうもー!またお会いしましたね。
由結:はい、2週目ご登場頂きましてありがとうございます。
風間:はい、どうもー。
由結:さて前回も様々な冒険のお話を伺ってきたのですけれども。
風間:はい。ベラベラ喋りすぎですね(笑)。
由結:いやあ、とても楽しくワクワクしました(笑)!聞いているかたがた、勇気をもらった方沢山いたと思います。さて、風間さんはこれまでも沢山様々なご経験をなさっていらっしゃいますが、「これはもの凄いピンチだった。でもそれを乗り越えた。」みたいなそんなお話はありますか?
風間:もう全部そうですよね。全てピンチですね。ピンチでないものは一つの挑戦と言うのはありえないですね。もう全部危険を承知で難攻不落の所に行くからこそ打ち震える気分で頑張っていくわけですよ。
“パリ・ダカール・ラリー”出場時のエピソード
由結:なるほど。元々何か挑戦すると言うようなことはお好きだったのですか?
風間:いや、そんなことないですね。やっぱり挑戦するよりが大事なのは”好奇心”だね。やっぱりあと好奇心の前に。例えば僕だったらフィールドワークだよね。五線紙の中に音符を書く冒険じゃないからね。やっぱりフィールドの中でやっぱり”それを好きだ”と言うことね。この”好き”と言うものがやっぱり”好きこそものの上手なれ”とあるじゃない?やっぱりそこは大事なんですね。それと同時に”自然も好きだけどバイクも好きだ”と言うね。バイクで何かをすると言うことに躊躇がないと言うかね。やっぱりそこを持って自分は自然に挑んでいきたいと言うのが自分のスタイルだからね。
由結:なるほど。パリダカールラリーも出場されて、この時も見事に入賞なさっているのですけど、これはきっかけと言うのはどんな感じで参加されたのですか?
風間:これは簡単でね、僕はまずバイクに乗ると言うことは「なぜ乗るんだろう?」と言うことは、僕のバイクの魅力を語る時に考えると”自然の魅力”と言うことに尽きるんだと。それで「”自然の魅力”の中で僕はどこを目指しているんだろう?」と言う時に、”三つの文字”が出てきたのね。これが”地平線”です。”地平線”と言う一つのイメージ。「あの世界に僕は有形無形の地平線に、見えないどこかに向かって走って行きたいんだ!そこに限りないロマンを抱くんだ!」と言うことで”地平線”と言うものに憧れましたね。それでそれは一つは「世界に羽ばたいていくんだ」と言うことになり、それで文字通り「本物の地平線を見てみたいな」と言うこと思った時には、「サハラの360度の地平線の中にバイクと共にあったらこれは幸せだろうな」と言うふうに思ったのね。「でもサハラはどうやって行ったらいいのだろうか?」と思った時にやっぱり「あー」と。僕はバイク雑誌のジャーナリストをやってましたから、日本人の誰よりかも先に”ダカールラリー”と言うの知っていたんですよ。それでこのラリーに出るとサハラのど真ん中に補給体制を伴っていけるなと思って、エントリー費170万円もしたけどね「これに決めた!」と思って行ったんですよ。
由結:なるほど!
風間:レースに入ったんじゃないのね。まぁなめていきましたね。「こんなのは冒険の一部だよ!」と思っていたらとんでもなくてね。冒険どころか旅どころかとんでもない修羅場でふるいにかけられましたけどね。何しろ330台ぐらい出たバイクが最後は31台だから。もう十何%になっちゃった。最後まで行けたのがね。皆リタイヤする。そういう時でしたね。だから厳しかったんですよ。本当の地平線は僕が思い描くようなユートピアではなかったですね。そんな中で必死になって一つ生還すると言うか、毎日毎日生き残っていくと言う大変なテーマを超えた時に僕はなんとなく冒険家らしくなっちゃったね。
由結:それが一つの転換点だったんですね。
入賞よりも嬉しかった“人間としての成長体験”
風間:ある砂嵐の日に、本当に昼飯をもらえず出発しないといけない日があって、それが1300kmあったの。結果的にはそれを必死の思いで走り切ったんだけど。でも途中でとにかく僕は喉が渇いて渇いて仕方なかったね。それで「水を飲みたい!」と思う自分が必死になっていてね。朝飯食ってなかったからね。腹減ったんですよ。
由結:えぇえぇ。辛かったでしょうね。
風間:ね。それでそれを克服してなんなきゃいけないから、腹はともかくとして次は喉が渇いちゃってね。「水、水」叫んでいた。それで「水」と呻きのように叫びながらもバイクを転ばしちゃうと命の保証は自分で持てないでしょう?絶対に転ばしちゃいけないバイクを必死で操りながら、とにかく必死でバイクにしがみつきながら「水、水」と呻きながら僕が地平線を目指して走ったのね。それでその時に開いた口がふさがらなくなっちゃったの。
由結:ええ!そんなことが!?
風間:あのね喉が乾きすぎると喉が潤いがないと開いたままになっちゃうんですよ。開いたままの気管支が口から入って両方の肺に二つに分れるのがよくわかるわけ。それで「水、水」と言っている時に口開いたままで走って行くと空気が喉の咽喉に当たって気持ちいいわけ。その時に僕は「水を飲めないけど僕は空気を吸っていて、空気が水の代わりをして冷たく気持ちいいな。と言うことは僕が空気を吸って生きているんだなー。」それでこの生きていることに必死でしがみつきながら「自分にとって一番大事なものは、そうか空気だったんだ」と。「空気が吸えてる自分が一番欲しいものは、二番目には水だなー。それで水をもし飲めた自分が一番欲しいとしたら飯だなー」と思って、”空気・水・飯”と言うこの三つを自分が土壇場で感じた大切なもの。それは僕がゴールしてからね、僕にとっては一つの大きな”金字塔”になったね。
由結:いやあ~凄い体験ですね!
風間:それでこれは僕は6位になったんだけど、6位トロフィーなんかよりそっちのトロフィーのほうがずっと大きかったね。だからそれで僕は人にとって「お前走りきったの?何位だった?」と言うのは、これが僕の為じゃなくて人の為にあるんだよね。「6位ぐらい頑張ったよ」と言うことであって。それで僕はそれよりもっと大事なのは生還できて”あの時に感じた空気のありがたみ”・”水の素晴らしさ”・”飯の喜び”。「これは僕が自分で掴み取った一番大切なものだ」と。これがトロフィーだね。だからそれで僕は冒険家の一つの一歩を感じちゃったね。こうやって大変なものに挑むことによって自分は一つ一つ本当の成長を遂げていくんだと言うことで、「バイク会を引き上げて行こう!」と言うのは一つの動機であってね。やっぱり内面の部分は自分の人間として成長することが冒険家。未知なものにどんどん次々に挑戦していってね、「僕は大きくなるんだ」と「大人になっていくんだ」と思いましたね。
由結:わー!素敵ですね。”自己成長”・”向上心の塊”。
風間:まだ子どもですけどね(笑)。
由結:いやー(笑)奥深いお話ですね。このお話を聞くと空気一つ見た時にも、その成分を分解して感じられると言うか…。
風間:いや、そうですよ。ありがたいんです、空気吸えると言うことはね。そして、今の時期、この中にコロナ菌があると言うの許せないですね!
由結:そうですね。今丁度そういう時期でもありますね。
風間:うん。やっぱりそうですね。僕らは強いですからね。僕を、自分達を信じて勝ち抜きましょう!そうやって自分をポジティブに持っていくと言うことはいいですね!
由結:いいですね。
風間:何にも勝る強さです。
由結:素晴らしいですね!はい。それでは最後に”SSTR”について教えて頂けますか。
大人気!“SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)”
風間:”SSTR”と言うのを今やっていましてね、今年で8回目。5月、今月の来週やるはずだったんだけど、10月に延期しました!これは僕が冒険家だから一つの思いついた普通のライダーがいるでしょう?「普通のライダーにも夢を持ってもらいたい」それで「自分の走りに誇りを持ってもらいたい」と言うことで、普通のライダーが世界チャンピオンとか表彰台に云々とか、タイムが速い遅いじゃなくて、”乗ること自体に誇りを持つ”。乗ること自体に素晴らしいロマンと尊厳を持ってもらいたい。それでそういう意味で冒険家が皆さんに提言するのは「東の太平洋から太陽が上がったらキックオフだよ」と。それで「太陽が西に行って傾いて日本海の海に沈んだらゴールだ」と言うことで。
由結:なるほど!ひとところに集まって「よーいスタート」で始まるのではないわけですね。
風間:そうですね。あらゆる東の海をどこをスタートしてもいいからスタートして、それで僕は石川県の千里浜と言う所が素晴らしいサンセット。そこはバイクが8km走れる砂浜なんですよ。そこにゴールゲートを設けて「そこにゴールしてください」と言うのでね。これが非常に沢山の人達の賛同をもらってね、今では5000台以上のイベントになっちゃった。皆が行ってくれるんですね。
由結:えー、そうですか。これは参加する条件は?
風間:これはもう「はい、行きます」とそれだけでいいの。エントリーしてもらってね。
由結:なるほど。”自分との戦い”ですね!
風間:まさに「自分はどのルートで行こうか、どのバンマシンで行こうか、誰と行こうか、一人で行こうか」「途中様々な峠道を超えるぞ」とか「温泉に入りまくっていくぞ」とか、色んな方法があると思うので、それで旅のクリエイトをして頂いて素晴らしいバイクライフをその日に満喫してもらいたいと言うイベントです。
由結:わー!素敵ですね。ありがとうございます。
風間:はい。どうも。
由結:さぁそれではお話が尽きないのですけれども、2週に渡りまして本当に素晴らしいお話ありがとうございました。
風間:どうもありがとうございました。
プロフィール |
1972年~80年 モーターマガジン社「月刊オートバイ」誌編集 1980年2月 アフリカ・キリマンジャロ峰(5,895m)バイク登攀 バイク用品専門店「風魔プラス・ワン」の第1号店をオープン 1982年1月 第4回「パリ・ダカールラリー」に日本人初出場。インターナショナル500ccクラス6位入賞,総合18位 1982年5月 宇崎竜童,根津甚八らと中年オフロードクラブ「MAC」を結成、活動に入る 1983年11月 メキシコ「BAJA1000マイルレース」に日本人初出場 1984年2月 フランス「ル・トゥケエンデューロレース」に出場 1984年10月~11月 ネパール側からエベレスト(8,848m)にバイクで挑戦。プモリ南稜でバイクによる世界最高高度5,880mを達成 1985年10月~12月 中国側からエベレストに再挑戦。北壁直下高度6,005mのバイクによる世界記録樹立 1987年2月~5月 バイクによる史上初の“北極点”到達に成功 1987年10月 ファラオラリー250cc部門優勝。 1989年1月 南米最高峰アコンカグア峰バイク登攀(6750m)。 1990年4月 ユニークな自然塾「地球元気村」を主宰 1991年11月~1992年1月 バイクによる史上初の“南極点”到達に成功 1993年~2004年の現在まで 全国合計41市町村で地球元気村を開催。 2004年1月 第26回テレフォニカ・ダカールラリーに2輪にて参戦。 冒険のかたわら、全国各地での講演やTV・ラジオ出演、自然塾「地球元気村」の開催など、多方面での活動を展開中。1996年には地球元気村の仲間たちとCD「地球元気村のうた」を制作。 全日本ソリ連盟会長。 普段はバイククラブ「MAC」、アウトドアの「いやはや隊」のメンバーとして、さらには釣りクラブ「FAC」の会長としても活躍。 2004年1月パリダカールラリー参加中、事故のため無念のリタイア。以来、8度に亘る手術を乗り越えリハビリ闘病中。 2007年 冒険ライダーとして復帰WHO承認活動「運動器の10年」世界キャンペーンの国際親善大使として、250ccスクーターによるユーラシア横断に挑戦。 ※10カ国18,002kmを走破しながら、各地の医療機関を訪問し日本へリポートする。 2008年 4WDカーにてアフリカ大陸縦断11カ国、23,817.5kmを走破。 2009年 脚に障害を持つ2名と共にパースからシドニーでオーストラリア大陸を自転車で横断、5,150kmを走破。 2010年「運動器の10年」日本キャンペーン「障害者による日本縦断駅伝」を実施(2 – 4月)。※沖縄から北海道までの2,300kmを、127人の障害者が自転車、車椅子、ハンドサイクルなどでタスキをつなぐ。風間は全行程を自転車で伴走した。 2012年スクーター、自転車、ボートを駆使して南北アメリカ大陸を縦断。全行程15,861.5kmを走破。※(詳細 :南米大陸、スクーター10,070km / 北米大陸、スクーター1,801.5km、自転車2,700km、車750km、ボート540km)※北欧1,169kmを自転車で横断※事故から復帰後の4年間で66,300km、地球一周半以上を走り回る。 2012年東日本大震災発生。4月より南三陸町ベースキャンプを設置しバイクで情報収集や物資輸送などを展開、約100日間にわたって支援活動に専念する。※以降もNPO法人地球元気村での活動として、被災地支援活動を継続。 2012年 日本中に元気を届けるため「障害者による日本縦断駅伝 完結編」を実施、宮城 – 北海道 – 沖縄までの3,000kmを108人の障害者がタスキをつなぐ。(4 – 6月)。風間は全行程を自転車で伴走した。※「FAUST A.G AWARDS2012」社会貢献活動賞受賞(12月)。 2013年 障害者(車イス利用者など)と健常者の混成チームで、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)の登頂に成功(2月)。※障害者(半身不随者など)と一緒に、モンゴルのゴビ砂漠をラクダでキャラバン(9月)。※列島縦断オートバイラリー SSTR 〜 Sunrise Sunset Touring Rally 〜 開始(10月) 2014年 平成25年度「運動器の10年」特別賞受賞。(2月) |