梅若猶彦さん 能楽師「日常の生活が大切」
“芸能の所作”の神髄とは
由結:それでは、本日の素敵なゲストをご紹介いたします。能楽師の梅若猶彦先生です。よろしくお願いいたします。
梅若:よろしくお願いいたします。
由結:梅若先生は観世流能楽師シテ方でいらっしゃいまして、静岡文化芸術大学の教授でもいらっしゃいますよね。日ごろ、たくさんの学生様にお伝えをなさっていることだと思いますけれども、本日は先生にぜひお聞きしたいことがございます。それは“芸能の所作”についてです。もう長年、3歳から初舞台を踏まれていらっしゃる先生ですので、その型というものはもう身の中に備わっていらっしゃると思いますが、この点についてどのように深めていけば良いのでしょうか。
梅若:すごく本質的なご質問で嬉しいですね。こういうエピソードがありまして、私が鵺という曲をやったときに、30代になる前だったと思いますけども、リハーサルでやったんですね。そのときにそのシーンの中で、能の中でシテが想像上の鵺という、鳥のような人間のような、これを射て殺すところがあるんですけど、そのシーン終わってから休んでいたら伯父ある梅若万三郎に楽屋で言われました。伯父の言うには「さっきの矢は外れてたよ、鵺を射れなかった」と言われました。お父様(梅若猶義)が戦前になすったときのこと。その能が終わってから、見席(観客席)に弓矢の、弓の名人が居てて、終わってから楽屋に来て、「さっきのシテは誰だ」と。そして、その弓矢の先生が父に告げたのです。「あなた、さっきの矢は当たりましたよ」と。
ここから、いろいろとコーヒーを飲むときの所作になってきたり、どうなってるのかなっていう研究をし始めたんです。
由結:まあ、そうでしたか。そのように見えるぐらい、素晴らしかったということですよね。
梅若:そうですね。多分、その弓矢の名人の方、鵺に当たって鵺が下まで落っこちたところも見てるはずなんですよ。ということで、すごい、それも20代の後半でそんなことできるのかなと思って。
由結:先生は当時、そのお話を聞いて衝撃を受けられたのでしょうね。
梅若:そうなんです。というか、恥ずかしくて。そのころも未熟ですから。でも、父はでも同じ年でそれをやったわけですから、多分僕はその時肩に力が入ってて、変なところが力んでて、内容も何もわからないで形だけやったんでしょう。そんなのが当たるわけなかったですから。今でもそれはちょっとわからないです。ちょっと自信ないんです。
由結:そういうものですか。
梅若:舞台上でやって、その鵺に当てる気力と力量があるかどうか。もちろん、私なりにやってきたんですよ。何十年。だからそこはちょっとどうかなっていうようなところなんです。
由結:そうでしたか。先ほど、先生がコーヒーというふうにおっしゃったのですけれども、これは日常によく飲むコーヒーのことですか。
梅若:はい。ちょっと一般論から申し上げると、能の見どころというのは、舞であったり、つまり地謡に合わせて舞うクセというものや、囃子のみで舞うものなどですが、そうつまり、きれいに華やかに扇を使って舞うっていうがのが重要と思われている、実際にそうです。
ところがこれと比べて遥かに地味な所作がある。小道具を物を手に持ったり、置いたり、こういう、いわば日常の仕草。小道具といいましたが
実際にそれが存在しない場合もある。道具が実際に存在しなくてもそれを持つ、これらの一連の所作は重要な見せ所でして、これで圧倒的に見所に力を感じてもらうというものです。理想的にはそれをやらないといけないんですね。
それをずっと研究してたわけですけど、そうするとどういうことが起きるかって言いますと、例えば、目の前には実際には何にもないのに、コーヒーが入ってるカップを想定する、
それを持って飲むという仕草ができるか?もちろんないんですよ。その仕草だけで見せることができれば素晴らしい。これが出来たら見所で観てる人は実際のコーヒーの香りが漂ってくるでしょう。これができれば名人ですが…。
海外公演での失敗談
由結:本当に奥深く素晴らしいお話ですね。先生は今までも海外にもたくさんご公演に行かれていらっしゃいますよね。海外での反響というのはいかがでしたでしょうか。
梅若:海外公演の僕のは失敗談から申し上げますと、とくに新作のときです。私はこれまで多くの新作能に携わり、自分で型付け(振り付け)もしてきたのですが、時には脚本を書き、演出もしてきましたが、必ずと言っていいほど失敗することがあります。それは能は難解だし、どのみち外国人だからわからないだろう。だから分かりやすくするために舞台上での動きをよりオーバーにしようとしたんです。これは全部失敗に終わっています!
由結:まぁ、そういうものなんですか。
梅若:あとから映像見て、恥ずかしくて見れない。何でもっと動きを抑えなかったんだ。何でもっと基本に忠実にできなかったんだ、と。何かこうちょっとオーバーにするとか、自分で作ったものであればなおさら、舞だってもっと動きのある舞を取り入れて、さらにそれをオーバーに演じる。これでそれはもう絶対失敗します。そうすると、外国の観客も別の次元で分からないことになります。
高次元の反対ですね。だからその失敗は二度としないように心がけています。
由結:その場での反響を肌で感じてのご感想。
梅若:そうです。もちろん、かといって外国で1時間、何にも動かないでじっと座っている、老女物が分かるかどうか、それはまた別の話ですが。
ヴァチカンにてヨハネパウロ2世の前で演じる
由結:なるほど。ローマ教皇の前でも披露されたということなのですが、そのときはいかがでしたか。
梅若:そのときはローマでまずイグナチオ教会で新作能をやって、そのあと、次の日、1988年の12月23日の夜です。覚えてますけど、バチカンの謁見の間で、法王ヨハネパウロ2世の前でご披露したんです。どうでしょう。喜んでくださったと思うんですけど、法王様から日本語のメッセージをいただいて。
由結:そうでしたか!学生の方々にも様々なものをお伝えになっていると思うのですが、型や内面にあるものを伝えるっていうの、すごく難しいんじゃないかなと思うのですが、何か先生なりにコツなどはあるのでしょうか。
1曲の中にある情報量の大切さ
梅若:学生さんに伝えるとき、あんまり細かい技術論、うちの大学は芸術大学と一般に言われてるものじゃなくて、どちらかというとアートマネジメント、カルチャーポリシーっていいますね。文化政策、を学ぶ大学ですので、実際の技術を習得する大学ではありません。ただデザイン学部は別ですが。そんな訳であまり細かいことを言わずに、例えば、落語でも喜劇でも狂言でもいいんですけど、そういう比較的わかりやすいテーマを取って、「それどう思う?」っていうような、そういう質問を投げかけたりすることもあります。
例えば、私、最近思うのは芸術作品が内包する情報量のこと。
同じピアノ曲が別の演奏者によって演奏されたとき、一方はより情報量が多く、それはより優れている?といえるか?考えてくださいって。学生らで。例えば、コメディーに登場する恐妻家と恐ろしい妻の話。
そのときに、どうやってこの作品が表現されるか、それによって情報量が変わってくる。私こうだと思うんです。恐ろしい女性っていったら女性のリスナーに怒られちゃうかもわからないけども、結婚した当時はすごく素敵な女性だったはずである、という前提が必要。その女性をそういう恐ろしい女性にしてしまったのは、主人であるはずです。それが表現されてないと深みがでませんね。ただガミガミガミガミ言ってる強い奥さん。作品としては何も面白くない。さらに隠し味として、そして悲劇である事はまだ二人は愛し合っているんです。これが永遠に続く。ここが表現されてないと、面白くない。つまり情報がない。
由結:確かにそう思います。
梅若:これが永遠に続く、という悲劇はどういうものかというと「実は俺が悪かったんだ。ごめんなさい」「そうね。私も悪かったわね」って、そうはならない。ですのでこの喜劇は悲劇でもあるのです。両方の情報が詰まっている。
由結:なるほど。そうすると、学生さんも共感を得るのでしょうか。
梅若:そうです。ただみんな知らないみたいです。恐妻家、結婚したことないんで。ポカーンとしてるんです。
由結:そういうものなのですね(笑)
梅若:もう何にも、結婚したこともないし、だから何のこと言ってんのかな、と。
由結:なるほど。でもそうやってたくさんの方にお伝えになっていらっしゃいますので、ぜひ今後も皆様に、この伝統と、そしてよいものを伝えていっていただきたいと思います。先生、本日は本当にありがとうございました。
梅若:本当に呼んでいただいてありがとうございました。
由結:ありがとうございました。
MOVIES
マルチメディアパフォーマンス
「地獄の門を叩く男」
ブラジルのコーデル文学を題材にした作品で
盗賊のランピオンがテーマになっている
2019年
お台場パナソニックシアターにて世界初演
Traditional Japanese Noh theater interprets Brazilian Cordel literature in a contemporary multimedia theater production called “Hell Says Noh”—featuring Karate, Capoeira and projection mapping. Brazilian gangster Lampião attempts to enter hell, only to be refused entry by Satan. A battle ensues between Lampião and Satan’s soldiers. The play celebrates the transition of the Olympic and Paralympic Games from Rio de Janeiro to Tokyo.
演出 梅若ソライヤ ランピオン/妻:梅若猶彦
サタンの兵士1 中町 美希(松濤館空手2006年世界選手権優勝)
他
主催 制作 ブラジル大使館
プラチナスポンサー: パナソニック、三井物産
後援:外務省
協力:梅若マドレーヌ(MJU)
日本空手協会
シェークスピアの「リア王」に触発されて書かれた作品でパリの Théâtre des Abbessesにて2015年6月に公演された。
このvideoはシンガポール演劇祭で同作品が公演された時のもの。
演出 オン ケンセン
主演 リア/リアの妻:梅若 猶彦
長女: ウ マン(中国琵琶)
次女: カンコン スーン(韓国宮廷声楽)
他
「Lear」(リア)
夢見るリアの元のなった作品
で1997年から世界の主要な演劇祭で招待公演されたもの。ベルリン世界演劇祭、香港国際演劇祭、
シンガポール国際演劇祭、コペンハーゲン国際演劇祭、ジャカルタ国際演劇祭、パース国際演劇祭
このvideoは1997年9月9〜15日 東急文化村シアターコクーンにて上演されたもの。
脚本:岸田 理生、オン ケンセン
主演 リア/リアの妻:梅若猶彦
長女: チャン チーフ(京劇)
次女: ピーラモン (タイ舞踊)
他
「リア王-アルピアニストの死」
2016年にアルブスタン国際芸術祭で発表されたもので梅若猶彦が書き下ろした。
作/演出 梅若猶彦
音楽監督 Eric Ferrand-N’Kaoua
制作 梅若 マドレーヌ 主催 Al Bustan International Festival of Music & the Performing Arts キャスト
リア王 梅若猶彦
コーデリア 梅若 ソライヤ
ゴネリル/リーガン/看護師 CormAnne-Marie Salameh Earl of Kent: 梅若猶巴
プロフィール |
昭和33年生まれ 観世流能楽師シテ方、静岡文化芸術大学教授、 |