薮田翔一さん 現代音楽作曲家 第70回ジュネーブ国際音楽コンクール 作曲部門 優勝「エンターテインメントを超えた音楽を目指して」
銀座ロイヤルサロン(2018年8月30日)
由結:さあ、本日も素敵なゲストをご紹介致します。作曲家の薮田翔一さんです。よろしくお願い致します。
薮田:よろしくお願い致します。
由結:はい。薮田さんといえば、世界最高峰の音楽コンクール・第70回ジュネーブ国際音楽コンクール・作曲部門で日本人初優勝。様々な他にも賞を受賞していらっしゃるんですが、例えば”ジュネーブ音楽院にてマスタークラス”、”東京大学の学藝饗宴ゼミナール”そして”NHKカルチャーラジオ”にて講義をするなど後進のかたの指導にも当たってらっしゃいますね。
薮田:はい。
由結:今日はそんな今をときめく作曲家・薮田さんに色々と教えて頂きたいと思っております。
薮田:はい。よろしくお願い致します。
由結:薮田さんはこの音楽というもの、この世界に入られたのはいつぐらいなんですか?
薮田:はい。母がピアノ教師をしておりまして、小さい頃からピアノというか音楽には触れる機会が多かったんですけれども、やっぱり僕は男なのでどうしても”ピアノっていうものは女性がするもの”という何か固定概念を持っていました。小さい頃は少し距離をとってたんですけれど、そのあと小学6年生の時に小室哲也さんの音楽を聴いて「作曲をやってみたいな」と思って。そこからまた時間があいて、高校3年生の時に実際作曲を習い始めました。
由結:なるほど。憧れの小室哲也さんが一つのキカッケになったという事だったんですね。それまでもその音楽そのものにはご興味があったという事なんですか?
薮田:はい。
由結:そして今現在は現代音楽というものに特化してらっしゃると思うんですが、そこに至るまではどういうふうに繋がっていくんでしょうか?
薮田:まず高校3年生の時に、作曲を習い始めた時にクラッシック音楽の作曲を習い始めました。そこの中でやっぱり進学としては音楽大学に入学するという事になって、音楽大学に入るとやっぱり作曲家というのは現代音楽の勉強を中心に習ってて、そこで現代音楽に触れる機会がありまして、そこからどんどん現代音楽の世界に引き込まれていったんです。
由結:そうでしたか!クラッシックの世界にいて、そこから現代音楽に行く時って変化を求められると言いますか、新しいものを作り出すっていう事って並々ならぬエネルギーが必要じゃないかなって思うんですが、その辺りは如何でしたか?
薮田:最初はやっぱり凄く抵抗があったんですけれど、聴いていくうちに特に時代の順番に沿って聴いていくうちに凄く馴染めるものだという事に気付いて。
由結:あー、なるほど。そうなんですね。一般的には凄く難しいっていうようなイメージがあるんですけれど、その辺りの一般的な考えを覆すのって大変じゃなかったですか?
薮田:はい。やっぱり大変ですね。やっぱり僕自身がどうしても最初苦手っていう所から入ってるので。でもやっぱり、例えば1900年ぐらいの音楽というのは皆さん、例えばオペラとかで”プッチーニ”とか”ヴェルディー”とか有名なかたで聴いてるんですけれど、それを順番に例えば、1901年・1902年・1903年と1年毎ぐらいに聴いていくと意外に聴きやすかったりとか。耳が慣れていくというか。
由結:あー!なるほど!区切って聴くなんていう経験をした事がないものですから。いつも構築して考えることを行っているんですか?
薮田:はい。順番に順序立てて勉強していくと、いきなり現代音楽になったわけじゃなくて、あくまで連続した時代の中で出てきたものっていうふうな事が認識できてからはやっぱり見方は変わりました。
由結:薮田さんの音楽といえば短い音の集積という事が一つのテーマになってると思うんですが、あの短い旋律で全体としてまとまりのある音楽のように感じます。聴いた時、すごいインパクトで「凄いな!」と素人なりに思ったんですが、何か狙いはあるんですか?
薮田:少し日本的なものが取り入れたいなと思った時に書道の払いであったりとか跳ねっていう部分だけをピックアップして、それを集めて音楽にしたらどうなるかなっていう所が発想の原点になっています。
由結:面白いですね。日本人として日本人の感覚を大切にしてつくられているんですね?
薮田:はい。
由結:そしてこの音の集積という事でその中には“間“など、色々な変化があると思うんです。薮田さんの音楽を聴くと、常に神経を研ぎ澄まされるようなそんな感覚になるんですが、そこも計算があるっていう事なんでしょうか?
薮田:はい。例えば凄く間延びするような大きな長い間をとる前には、特徴的というか印象に残るようなものを置いて、それを”味わう時間としての間を作る”っていうような形で。例えば印象に残らないものであれば、間も短くしたりとか。何かその前のものに全て間の長さを入れるようにしています。
由結:なるほど。本当に全て構築されて計算されてできてきてるという事なんですが、それと同時に普段作曲される時っていうのはどういう環境で作っていらっしゃるんですか?
薮田:例えば部屋の中というのもアレですけれど、屋外でも作ったりもします。
由結:そうなんですか。
薮田:はい。どうしても作曲っていうのは締め切った暗い部屋でされてる何かイメージがあって、僕はあまりそういう所が苦手でどちらかというと外のテラスのような所で作りたいって思うんですけれど。
由結:なるほど。そんな中で”百人一首”というものに今特化をして、作られてますよね?
薮田:はい。
由結:私も聴かせて頂いて「わ!珍しい!曲をつけるとこんな世界になるんだ!」っていうふうに感慨を覚えました。このアイデアを思いつくキカッケはあったんでしょうか?
薮田:元々2016年にオペラとして作曲する際に歌詞として使用したのがキッカケなんですけれど、その時にやっぱり百人一首っていうのは僕の中であまり興味がなかったものなんですけれど、そこに触れる中で「もしかしたら凄いものじゃないか」というふうに感じ始めて、意外に共感するものが凄くあったので、そこから作り始めて、「このまま全部作ってみたいな」って思ったのがキカッケです。
由結:へー、そうなんですね。歌を詠むという事で「タタタタタ、タタタタタタタ」というこのフレーズをそこに上手く音を乗せていき、表現をするという事ですよね。しかも沢山ある百人一首の中から抜粋をして皆さんにお聴かせする試み!やはり薮田さん独特の世界観ですね!
薮田:ありがとうございます。
由結:そして、中原中也さんの詩に乗せても曲を作ってらっしゃいますよね?
薮田:はい。
由結:これはどういうキカッケだったんでしょうか?
薮田:元々祖母が小学校の先生されてた時に、何か詩と触れ合う機会があって、中原中也を知ったみたいで。祖母がもの凄く好きだったので僕が小さい頃とかに読んで聞かせてくれたっていうのがキカッケです。
由結:そうですか。今は作曲はもちろん第一人者でいらっしゃるんですが、作詞も始められたと伺ったんですが、どんなキカッケだったんでしょうか?
薮田:元々作詞には全く興味がなくて、やっぱりちょっと作詞は何か恥ずかしいっていうイメージがもの凄くあったんですけれど、何か自分の気持ちを直接、やっぱり曲っていうのは何か間接的に伝えてるんですけれど、詩っていうのはやっぱり言葉になってしまうので。
由結:ダイレクトですものね。
薮田:はい。少し抵抗があったんですけれど、小室哲也さんにお会いする機会があって、その時に「どのように作詞されてるか」っていうのを伺って「もしかしたら自分も作れるかもしれない」って思って作り始めたのがキッカケです。
由結:わぁ!憧れの小室哲也さんに直接お話を伺って、そこからまた閃きが降りたという事なんですね。作ってみて如何でしたか?
薮田:やっぱり僕の中で作詞っていうのは、何か作曲とは全く別のものっていうふうに考えてたんですけれど、意外に作曲と似てる所があったりとかして何か自分にもできそうな感じの雰囲気が凄くあるなと思いました。
由結:そうですか。実際にそれが曲になってるものがあるんですよね?ご紹介頂いてよろしいでしょうか?
薮田:はい。6月19日にソプラノ歌手の辰巳真理恵さんという方のデビューアルバムに収録させて頂いております。
由結:どんな曲・どんな詩なんですか?
薮田:はい、”ありがとう”という感謝の気持ちを表現しています。丁度辰巳真理恵さんのお父様の琢郎様が8月6日に還暦のお誕生日だったので、その際に真理恵さんからお父さんとのエピソードを伺ってたので、その事をまとめて曲に致しました。
由結:自分が作った作詞したものに曲を乗せるってどんな感じなんでしょうか?
薮田:やっぱりこれまでは元々あった詩に曲を作ってたので、曲があとだったんですけれど、作詞もするようになると、両方同時に進行できるっていうのが凄く何か今までとは違うなっていうのが楽しいですね。
由結:今後の構想はありますか?
薮田:やっぱり今年は”百人一首”に力を入れてるので、”百人一首・全100曲”を一回の演奏会で全部したいなと思って、12月6日に浜離宮ホールで、ちょっと長くなるんですけど、3時間ぐらいの演奏会で。やりたいなと思ってます。
由結:そういう情報というのは”薮田翔一”と検索すると出てくるのでしょうか?
薮田:はい。
由結:楽しみですね。これまでにも沢山の方々とコラボレーションされたり、舞台そのものをお作りになるという事を薮田さんはなさってますよね?この醍醐味を教えて頂きたいんですけれども。
薮田:はい。やっぱり作曲は一人でする事が多いんですけれど、他の方と、例えば映像作家であったりとか、歌手のかたもそうなんですけど、演奏家のかたと話し合ったりする中で、自分一人では作れないものを、想像できないようなものを、想像力を頂くような形で曲を作るのがもの凄く楽しいなと思います。
由結:そうですね。元々こういう自分の世界観みたいな舞台と言いますか、そういうのを作るのがお好きだったんですか?
薮田:はい。でもやっぱり僕一人の世界観っていうのはどうしても一人の人間なので小さなものなんですけれど、色々なかたの知恵を借りてする事で、もっと大きなものを作っていきたいなっていうふうには思ってます。
由結:なるほど。今までも様々な音楽を作られてますけども、例えば瀬戸内海をテーマにした曲なんかも作られてますよね。その時っていうのは、瀬戸内海を何となく頭に浮かべるという事ではなくて、現地に行かれて取材なさったりするんですか?
薮田:はい。実際に現地に行って、その時は瀬戸内海の時は船に乗って。僕は生まれが兵庫県のほうなんですけれど、逆の四国側からも瀬戸内海を見てやっぱり見えかたが全く違ったりするので。何かそういった所も色々実際見て、経験してっていう形を作ってます。
由結:そうなんですね。そして世界各国も、もう何カ国行かれてたんでしょうか?
薮田:70カ国ぐらい。
由結:そうですか!もう様々な場所行かれたと思うんですが、一つだけ印象的だった国はどんなところですか?
薮田:ボリビアが印象的でした。
由結:どんな所でしょうか?
薮田:やっぱり僕、少し標高が高い所が意外に好きだったっていう事自分でも知らなくて、標高4000mぐらいの所にいるのが何か宇宙に近づいているような感じがして。
由結:なるほど。だから宇宙をテーマにした壮大な曲などがあるんですね?
薮田:はい。
由結:最後にリスナーの方に向けてメッセージをお願いできますか?
薮田:はい。やっぱり僕日本人なので百人一首であったりとか、日本の文化を発信できるような音楽を作って行きたいと思いますので、是非機会がありましたら、聴いて頂けると幸いです。
由結:はい。是非皆様”薮田翔一”で検索をなさってみてください。それでは薮田さん本日はありがとうございました。
薮田:ありがとうございました。
プロフィール |
「短い音の集積」をテーマにした楽曲を数多く発表しており、世界最高峰の音楽コンクールである「ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門」にて日本人初となる1位入賞。その考え抜かれた楽曲の構築美は高く評価され、「ウィーンコンチェルトハウス100周年作曲賞最優秀作品賞」なども受賞している。 ◆主な履歴 2001年より東京音楽大学入学までの2005年まで、作曲理論、ソルフェージュを飯塚邦彦氏より学ぶ。 東京音楽大学入学後、同大学院卒業までの6年間に藤原豊氏(2005年)、糀場富美子氏(2006年)、西村朗氏(2007年~2011年)ら、各氏を中心として学ぶ。 その他に、大学院在学中に、東京音楽大学作曲科の担当教諭以外からも、レッスンを受講が可能となるシステムにより、池辺晋一郎氏、細川俊夫氏からも定期的にレッスンを受け学ぶ。 龍野アートプロジェクトで音楽監督、神戸新聞のコラム「随想」を執筆するなど活動の場を広げている。ジュネーブ音楽院にて作曲のマスタークラス、東京大学「学藝饗宴」ゼミナールにて講義、NHKカルチャーラジオにて「現代音楽講座」の講師を担当するなど後進の指導にもあっている。作曲した曲はこれまでにアメリカ合衆国、スイス、オーストリア、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、マルタ、ポーランド、クロアチア、ベルギー、ジョージア、フィリピン、台湾など世界各国で演奏されている。 近年は、小倉百人一首で歌曲(全100曲)をピアノ伴奏、弦楽四重奏伴奏で作曲するなど日本文化の発信、大型放射光施設SPring-8の実験行程を音楽にした曲が雑誌Pen+の付録CDになるなど、活動は現代音楽の作曲に留まらず多義に渡っている。 |