画廊「ギャラリーSTAGE-1(ステージワン)」 オーナー 天野喬夫さん「華やかなりし往時の銀座を偲ばせる芸術的空間」
2018年1月11日(木) ギャラリーSTAGE-1 代表 天野喬夫さん(1) |
2018年1月18日(木)放送 ギャラリーSTAGE-1 代表 天野喬夫さん(2) |
由結:ギャラリーSTAGE-1 代表の天野喬夫さんです。宜しくお願い致します。
天野:宜しくお願い致します。
由結:今ご紹介した天野さんなんですけれども、なんと銀座で事業をなさってからなんと50年以上経っていらっしゃるという事で、今日は色々と銀座についてもお伺いしたいと思っております。
天野さん、実は天野さんのギャラリーなんですけれども、非常に有名な建築物で、東京都選定歴史的建造物として認定されているんですってね?
天野:はい、そうですね。この、私のいる鈴木ビルは、最初建物を造った時から指定されているわけではなくて、実際に、建物を補修しなければならない時期がありまして、その時にいろいろ相談のってくれるという事で、色々と手をかけて綺麗にして、それの2年後ぐらいですかね、都の方から指定させてくれという事で来られたようですね。だからいじれるところはいじっちゃってるから、元の状態って言うのはほんの部分的なものになってはいるんですけども。
由結:そうなんですね。私もちょっと拝見させて頂いたら、4つの馬蹄型の窓があったりして、すごく特徴的な建物ですよね、ファサード、正面の感じも。
天野:ご覧になった馬蹄型の窓がある部分、あのフロアは写真家の日本の草分け的な有名な土門拳さんのおられた事務所なんですよね。非常に、他の所からの光は全部シャットアウトするんだけれども、そこの部分だけから光がすーっと入ってきて、非常に内部が雰囲気の良い空間です。
由結:そして外観も素晴らしいんですけれども、中に入るとおしゃれなタイルがありましたね。
天野:そうですね。他にはあまりない模様のタイルなんですけどね。テラコッタタイルといって、焼きの緩い焼き方のタイルだから柔らかいには柔らかいのだけど、あのタイル自体は、他にはなかなか見られることのない薬のかけ方ですね。
由結:なるほど。本当に有名な建築物なので、わざわざバスが出て、皆さんご覧になるっていう様なツアーになっているそうですね。今伺った通りで、天野さん、建築物に非常に詳しくていらっしゃるんですけれども、そのギャラリーをなさる前って言うのはどんな感じだったんですか?
天野:ほとんどそっちの方が僕は長かったんだけど、だいぶ古いまんまの状態がずっと続いてきて、僕はそこで設計事務所やってたんですけど、あんまり建物のオーナー自体があんまり綺麗にすることに興味がなかったような感じがあって、放っておかれたようで、それをある時期に手を入れて綺麗にしていく、そしたらこんなに良くなったんだという事で、文化財として目をつけられたようですね。
由結:そうでしたか。そんな素敵な建物の中にこのGALLERY STAGE-1があるという事なんですが、普段はどんな感じで皆さん使ってらっしゃるんですか?
天野:ギャラリー自体のやり方は色々とあると思うんですけれど、僕の所は、ある作家さんに来てもらって展示をして、それを観に来てもらうっていう様なそういうやり方ではありません。もちろんそういう展示だけのために来てもらうこともあるし、良い先生にも展示してもらうやり方ももちろんあるけど、それに加えて、絵を志す人達、若者でも若くなくても、いわゆる初心者から、超ベテランまでいろんな人が一緒の土俵にのぼって刺激し合う。それでお互いに良い物を取りっこする。若者は初心者は初心者で、偉い先生達の技術とか考え方を身に着けてもらう。それで、ベテランの人たちは若者の元気のある動きを、そこからエネルギーをもらう。それでお互いに楽しく、絵の世界っていうのは本当に上下が無いなって感じる。それでみんな楽しんでやってもらっているようなところあるから、それを場を和ますためにアルコールも出たりなんかもしますけどね(笑)。それでお互いにほぐしあって、言いたいことは言う、こうした方がいいよ、ああした方がいいよ、もっとこうなったらいいんじゃないか、あそこでこういう人もいたよ、と交流の場を提供する。そういう場で若者達が話していると、そういうのを面白がって、年配者でも自分も絵をあんまり描かないけれどいいかって言って描いてくる人もいる。それで社交的な、サロン的な所にも半分なりつつある時もあるんだけれど、あくまでもそれは絵の場であって、結局絵の土俵の中で交流しあって、身について発展していってもらっています。非常に場を提供している側からして、とっても張り合いがありますね。
由結:ある意味人を育てると言う・・・そういう場になっている気がするんですが?
天野:本当に張り合いがあるので楽しんでいますね。
由結:なるほど、皆さんそれぞれが切磋琢磨して、成長していくという・・・。素晴らしいですね。天野さんご自身は人育てというか、そういうものにご興味はおありなんですか?
天野:あんまり人を育てるよりも、面倒を見てもらっているほうが僕は多かったんですけどね。だから僕は大体ずっと建築の方やっている時まであんまり人を育てるっていうのは経験なかったんだけど、たまたま周りの作家さんたちで良い人達がおられて、それをきっかけに、建築の方は大分くたびれたから、周りの人に引きずられて、今度絵の方始めるかなと思って、首突っ込みだしたんですが、結局今度人を育てる方が張り合いがあるっていうのを見出すっていうか、だから休んでいる暇があんまりないんですよね。
由結:お休みってあるんですか?
天野:画廊っていうのは大体祭日がない、日曜だけが休みだけど、だけど日曜日って言うと今度色んな人の作家さんの展覧会を、こっちの美術館でやる、こっちの展示場でやる、こっちの画廊でやる、色んな所でやっているものだから、観に行かなきゃなんない。それで自分が観たいものももちろんあるし、ほとんど自分の時間が無くて動き回っているところがあるから。
由結:まぁ、そうなんですね。でもそうやって常にアンテナをたてたり、人の企画展に行ったりして、そこの情報をまた皆さんにお届けしたりという事ですね。素晴らしいですよね。
天野:それがそれをもってドツボにはまった時、この人とこの子を何とか接点見つけて、見出して取りっこしてもらうって様に案内して、勉強した結果が、どんどん目を見張るような展開の仕方って何人か見ているんですよね。
由結:例えばどんな感じに?
天野:まあね、メリハリの付け方っていうか。
由結:メリハリの付け方?
天野:奥行きの出し方、色の出し方、陰影の出し方、構成の仕方、これが随分変わってくる。何人かそういうの見ているから、そうすると本当は休みたいんだけど、つい、あれも観ておきたいな、これも観ておきたいなっていう自分の勉強でもあるんだけどね、そういう事で年中動き回るから。
由結:では常にいろんな作家さんの作品やその方の姿が頭の中にある感じなんですね?
天野:そうですね。だからかなり僕の方は肉体労働なんですよね。だから画廊っていうのは僕は、他の人は色々あるだろうけど、僕の場合は肉体労働、体力勝負じゃないかな。画廊っていうのは体力ないとできないなっていう様な気で今いますけどね。だからくたびれてきましたね(笑)。
由結:それだけ熱を持って喋られる姿を拝見すると、本当に画廊でのお仕事好きなんだなって感じられるんですが。
天野:好きっていうか、要するにこう、成長の段階の作家さんが食いついてくるから、そうすると放っておけないなって気が出てくるわけですよね。
由結:まさに先生というか親御さんの様な気持ちなのでしょうか?
天野:そういう気持ちもあるのかもしれないけどね。だけど、食いついてくる人と、ああ、もういいよ、自分は関係なくやるんだからっていう人はもちろんいるけどね。でもそれはそれでいいし、それなりの分野でいてくれればいいし。
由結:なるほど。GALLERY STAGE-1のまわり、皆さんがちょっと足を止めてふらっと入られる姿なんか拝見したんですけれども、皆さん気軽に入られたり出来る感じなんですか?
天野:絵を観ることを何回か経験している人は入ってくることができますよね。あんまり経験ない人は入っていいものかわからなくて、無料で入っていいんですかって人も中にはいますけどね。
由結:ぜひたくさんの方に観て頂きたいですね。それでは天野さんには来週もご出演頂けるという事で楽しみにしております。本日は有難うございました。
由結:2週目ご登場頂いたんですけれども、なんと天野さんは銀座でお仕事始められてからもう50年以上経つという事で、銀座に大変お詳しいという事と、それから天野さんのギャラリーの入っているビルそのものが“東京都選定歴史的建造物”に認定されているという、素晴らしい場所でお仕事なさっていらっしゃいます。今日も天野さんにGALLEY STAGE-1の素晴らしさと、銀座の素晴らしさについても伺っていきたいと思っております。
天野さんの事務所、ギャラリーなんですけれども、前回、色んな作家さんですとか、お若い方から、ベテランの方まで集まって本当に切磋琢磨されているというお話伺ったんですけれども、今は企画展としてはどんなものをなさっているんですか?
天野:今丁度これから、1月15日がスタート、11年前に1月15日からスタートしたものだから、今度のは“プレミアステージ”っていって、大体僕の所に色んな作家さんが入ってくれたり、参加してくれたり、個展してくれたりした、特に主だった人を中心にした展覧会を今回は68人ですかね、場所を2つに分けて展示させてもらいます。
由結:わー、すごいですね。これまでの主だった方々という事ですので、本当に長い歴史を象徴するような?
天野:まあ自分なりに構成しただけですけどね。
由結:そうなんですね。前回も天野さんは、人を育てるというか、そのギャラリーを通じて色んな方にお役に立ちたいという気持ちがおありだという事なんですけれども、今回の企画展で力を入れた点はどんなところなんですか?
天野:やはり主だった人はなるべく入ってもらう、だけど、これから伸びていきたいな、もっとこの人達は変わってもらいたいなっていう段階の人も何人か当然入ってもらって、そういう展覧会。一定のサイズを決めて、誰これって順番は無く、それはもうアットランダムになるんですけど、力のある人も、いまいちかなって人も中にはいるし、それに有志達に集まってもらって、記念展ですけど、約2週間、15日からやる予定です。
由結:そうなんですね。では行くと、色んな作家さんの作品や作家さんにお会いしたりできるわけですね。天野さんのギャラリーは本当に素晴らしい建造物の中にあるわけなんですけど、土門拳さんがオフィスに使っていた場所であったり、東京都のツアーが出ていて、皆さんがご覧になったりしているわけですよね。そして場所自体が、昔々の木挽町と呼ばれる場所なんですよね。これ木挽町というのはどの辺りのことを言うんですか?
天野:木挽町というのは丁度、今首都高が走っちゃってますけど、あそこは元々は徳川家康さんが運河として作った川の跡なんですよね。その川と昭和通りがほぼ並行してはしってまして、その間の町が木挽町という町名でして、旧木挽町といいますかね、そういうことで名前は残っているんです。だから京橋辺りから新橋辺りまでずっと細長く続いてる。もちろん歌舞伎座自体も木挽町になるわけなんですね。だから歌舞伎座の地下の広場は“木挽広場”っていう名前に今はなってますけどね。そういう風に名前を残していっているんですよね。
由結:なるほど、そうなんですね。有名な料亭もあったんですよね。
天野:“万安楼“っていう、規模では恐らく東京では一番大きいんじゃなかったかなっていう感じの、質はともかく、内容は別にしても大きさとしてはそういうような大きい数寄屋造りのなかなか黒塀でね3mは十分にあるような板塀ですね、真っ黒い板塀でもって囲った、中を全然見えないようにして、三味線の音が時々響いてくるような雰囲気の所で、なかなか風情がありましたよね。
由結:そうなんですね。あと有名な天ぷら屋さんもありましたね?
天野:うん、“躍金楼”っていうのがありまして、今はちょっと位置はずれましたけれど、相当草分けの天ぷら屋さんで、あの辺は運河を舟で、芸者さんを、新橋の方から旦那衆が一緒に来て、それでビルの裏からこの建物の方に入って、道路に出たり、或いはそのまま建物の中に入って、上がステージになってるものだから、そこで踊りを観たり、その後は“万安楼“っていう料亭に足を延ばしたり、或いは“躍金楼“の天ぷら屋さんで舌鼓を打ったりという様な状況の町だと思いますね。
由結:そうなんですね。歌舞伎を鑑賞したりっていう事ももちろんできたわけですよね?
天野:結局歌舞伎の舞台自体は今の歌舞伎座の所にあるけれども、それに準じたものが中でやっていたわけですよね。
由結:なるほど、そうなんですね。ちなみにGALLERY STAGE-1の入っている鈴木ビルにも、歌舞伎をはじめとする、チケット売り場ですよね、それが2階にあるんですか?
天野:2階にあります。
由結:風情がありますね。銀座って言うと色々な顔があると思うんですけれども、所謂表通りと言われる所と、それから所謂風情のある木挽町の辺りとで何となくカラーが違うなっていう感じもするんですが?
天野:今の木挽町辺りが銀座で言えば、銀座1丁目から8丁目までを横に串刺ししたようになるんですけど、それが昔の銀座が残っている場所じゃないか、所謂、戦後米軍が爆撃した時に、昭和通りから有楽町がほとんど爆撃したわけですよね。あっちの方が残ったのは、日比谷の所の東京海上のビルだとか、或いは服部とあの辺の2つ3つくらいしかたぶん残ってなかったと思いますけど、あっちはもうみんな米軍が潰して、皇居側の所に農林年金会館っていうのがあったけど、あれは自分達が後で使うつもりがあったから、あそこは爆撃しなかった、そのままマッカーサーがあそこに入り込んだ。それで昭和通りから運河の方まではこれだけは、その間を爆撃すると、おそらく昭和通りが幅広いから、火が蔓延していかないだろうけど、あそこの川と昭和通りの間を爆撃しちゃうと、川の幅はたいして広くないから、そのまま聖路加病院の方まで火が行っちゃうだろうと思う。それで木挽町を残したんじゃないかと思うんですよ。
由結:そこまで考えてのことだったんですね。
天野:もうそうです、計算づくで爆撃してるはずなんです。
由結:それで残った街並みなんですね・・・。先ほどもお聞きしたら、銀座の物価的に言うと、銀座って全体的に物価が高いんじゃないかなって思っていたら、意外にも暮らしやすいという風にお聞きしたんですけれど?
天野:特にね、単身者だとか、年金生活者だとか、所謂あんまり家で料理をすることが得意じゃない人達が生活するにはとっても都合のいい場所じゃないかと。とっても飲み食いする、飲む方はまあ色々あるだろうけど、弁当だとか、ランチだとか、或いは夜になると、デパートの7時以降はね、デパートがみんな安売りしますからね、安い金額でね、3割引きから4割引きぐらいは当たり前の値段で、惣菜関係ね、地下街の物はみんな安くなるから、サラリーマンも帰りは随分買っていくようだし、とっても生活するには非常に都合のいいっていうかね、旨いものを安く食べられる。それでそういう様な街並みになっていると思いますね。
由結:八百屋さんがあったりですとか、そういうものも揃っているわけですよね。“住まう“という観点からも非常に住みやすい場所であるという事ですよね。
天野:銀座通りは本当にインターナショナルな、どこに行っても同じような近代的な建物ばっかりになっちゃったけど、所謂木挽町辺りはずっと残って焼け野原にならなかったから、昔の銀座がこっちに残ってる。古い銅板屋根の3階建ての木造が、所々残っているし、路地の佇まいもそれなりに古いまま残っているっていうのがとっても居心地が良いような気はします。
由結:そうですね、そんな街並みを楽しみながら、GALLERY STAGE-1にふらっと訪れる方もいらっしゃるという事ですよね。
では最後にリスナーの方に向けて、天野さんからメッセージを頂きたいんですけれども、いかがでしょうか。
天野:銀座に来たらば裏の方の銀座を足を運んでじっくり見て頂けると、昔の銀座の良さが実感できるんじゃないかなっていう気はしますね。
由結:はい、ぜひリスナーの皆さん、木挽町の辺り、裏の銀座と言われる辺りに足を運んでみてください。それでは天野さん、2週に渡りまして有難うございました。