重要無形文化財総合指定保持者 能楽師 囃子方大倉流大鼓 大倉正之助さん「天地人 一期一会の調べを伝承する」
2018年5月3日(木)放送 重要無形文化財総合指定保持者 能楽師 囃子方大倉流大鼓 大倉正之助さん(1) |
2018年5月10日(木)放送 重要無形文化財総合指定保持者 能楽師 囃子方大倉流大鼓 大倉正之助さん(2) |
由結:能楽囃子大倉流大鼓 重要無形文化財総合指定保持者 能楽師の大倉正之助先生です。宜しくお願いいたします。
大倉:よろしくお願いいたします。
由結:本日お会いできるのを楽しみにさせて頂いておりました。
まず大倉先生のプロフィールを簡単にご紹介して宜しいでしょうか?
大倉:簡単でいいです(笑)。
由結:はい(笑)。能楽師でいらっしゃる先生は、御爺様、お父様より稽古を受けられて、9歳で初舞台を踏まれました。世界各国での式典やイベントに数々の出演なさっていらっしゃいまして、例えばローマ法王より招聘されて、バチカン宮殿内で大鼓の独奏をなさるなど、大変なご活躍でいらっしゃいます。今日はその秘訣を是非伺っていきたいと思います。先生は名門の宗家にご長男としてご誕生なさって、厳しい稽古をつけられたと思うのですが、その時はいかがでしたか?
大倉:私はね、伝統の古い家に産まれながら、大東亜戦争が終り、日本が復興していく過程で、日本の伝統文化が崩れてしまった…そういう最中に生まれ育ちました。ですから、生粋の伝統の家のスタイルを守っているとは言えないのかなと思っています。やはり時代が欧米に目を向け、クラスメイトも皆が欧米の嗜好でした。私の家は古いものを大事にしているので、欧米嗜好の現代社会とは遠い存在。代々続いた家業だからそれは大事にしていかなければいけないという想いもありながら、現代人として葛藤していた自分がいたわけです。
由結:そうですか。そんな時代を経て、突破口になったような出来事はあったんでしょうか?
大倉:稼業は伝統芸能という古い世界で現代社会が求める欧米嗜好とは真逆の関係。しかし家業だから大事にしなければと想う心との間で葛藤する自分がいたわけです。家には父も祖父もいて、伝統的な技能の伝承については厳しい稽古があるわけですね。今と違って、言葉というより体で…。今でいう体罰と言われ兼ねないくらい、突き詰めたところで、ぶつかって稽古をするというスタイルでした。それを、自分の中でもどう処理していいか非常に悩んだりしていましたが、外(の世界)に出る機会をたまたま得まして。当時、世間では農薬を使う現代農法がどんどん盛んになってきているときで、そんなときにオーガニック的なものに関心がいったんです。例えば塩ひとつとってみても、今みたいにバリエーションが無かったんですよ、昭和40年代は。ご存知でしたか(笑)?
由結:なるほど、そういう時代だったのですね!
大倉:昔は塩田法の施行により、イオン交換製法の発達によって、塩田が廃止され、観光産業の塩田や伊勢神宮の塩田が残ったぐらいで、当時は工場生産の塩ばかりでした。イオン交換膜でつくる精製塩ですから、99.9%が塩化ナトリウムで純度が高いのですが、そういうものに対して疑問を感じていました。今の塩は、塩化ナトリウム80%くらいで他にミネラルが色々豊富に含まれているのですが、バランスって大事なんじゃないかと当時思いまして、自然農法とか、無農薬とかに10代の後半、随分のめりこんでいました。
由結:そうですか。その当時のはしりですね。まだ、誰も気づいていない時代ですよね。
大倉:でも、その当時から、そういうことを提唱しておられた先人がいらっしゃいましたからね。例えば箱根美術館の創設者である岡田茂吉さんが自然農法を説いたり、オーサワジャパンの桜沢如一さんの、今でいう“マクロビ”食品、当時は“正食”正しい食って言ったんですけど、そういうものに影響を受けちょっと傾倒しまして。それで、先はこれを学ばなければならないと、人間として衣食足りてという考え方、食があっての自分だという考えに至り、農家に住み込みに、丁稚奉公に行きたいな、と。家族や親族会議にもなって。
由結:それはご両親も驚かれたでしょうね。
大倉:もう青天の霹靂。畑違いのことを何を言ってるんだ、と。洒落じゃないですけど(笑)。「農業に転向するとは何事だ」という状況ではあったんですけれど、私もどうしてもこれをやらないことには先に行けないっていう想いがあり、そこまで思い詰めちゃったんですね。
由結:まず根本を立て直さなければいけないというふうに思われたんですね。
大倉:「自分も10代のときは、特攻隊に行かないと日本は負けてしまうから、自分が特攻隊に行くんだ」「自分もそういうふうに思ったときがある。でも、何も世の中変わらないんだ、自分が一人行ったくらいで。世の中変わるもんじゃないんだ」と、特攻隊に志願した叔父がなだめてくださったりね。そう諭されたりしながらも、結局、外の世界を見てみようと思って、農家に住み込んで、しばし農業体験した時期があったんですよ。そこで初めて、伝統というものは部分で担うのではなくて、世の中全体で支えて、継承できるものだなって、私の一つの結論に至りまして。ただ単に自分が舞台をできればいいっていう次元ではなく、舞台を支えている全ての社会、世の中がちゃんと機能している世界を作り出していかなきゃいけないなっていう想いで、今、色々と取り組んでいるんですよ。
由結:そういった流れがあって今があるんですね。先生の舞台を拝見させて頂いて、そのときに光というか、言葉で表すの難しいんですけれど、目に見えない何かが見えた気がしたんです。観客にそのような境地にさせるために、何か日頃、舞台に立つ前、或いは舞台の最中に心がけていらっしゃることはあるのでしょうか?
大倉:父からは稽古で舞台のこと、母からは心構えを教わりました。母が、「舞台に立って鼓を打つ行為を通して、それが世の為人の為、国を作り出すんだという精神でいなさい」とずっと言っていましてね。だから舞台に上がる前に、私の鼓の一打ちの音が、“調べ”というんですけれど、いわゆる波紋ですよね、それが何か世の中の為に、人の為に、国造りの為に役立つ1つの音種として、その一助になればという想いを込めながら、一打一打を打つようにしています。それらは親からの継承です。伝統と言えば伝統ですよね。
由結:自分の為だけに打つとか、そういうことではなく、次元が違うということなんですね…!
大倉:私は“志教育プロジェクト”にも参加しており、戦後、教育の現場から“志”っていう言葉がなくなっていたのですが、今年また、“志”が教育の中に入ってきたんですけどね。実はずっとなかった。それは、あえてそういうふうにされていたのかもしれないですけど。あなたの夢、叶えなさいと、夢は大いに奨励してきた。「僕は大人になったら立派な家に住んで、良い車に乗って、素敵な奥さん、そして子ども…」そういう個人的なものを夢っていうでしょ。
「大きな家に住んで、素敵な家族を持つ」のが“志”っていったらちょっとクエスチョンマークが…。
由結:確かに違和感がありますね。
大倉:昔は立志式が、元服の時にあったわけです。“志”っていうのは自分だけじゃなく、社会との繋がりとか、先祖、親から、また、それを次の世代に伝承していくということが“志”なんだと。そうすると考え方が全然変わってきますよね。「僕の志は医者になって、苦しんでいる人達を助ける。この世から癌を無くす」とか、社会の為に貢献するっていう人が増えてくれば、世の中は良くなるだろうという考えから生まれた活動です。その“志プロジェクト”に関わっています。
由結:そのようなご活動のもと、勉強をされている方々が今も変わりつつあり、これからも変わっていくという期待がおありですか?
大倉:そうですね、志を持つ人が増えれば社会は豊かになってくると思います。
由結:そんな先生の素晴らしい“志”のもと、舞台やその他の活動は数え切れないほどありますので、また来週も是非その続きを伺わせていただきたいと思います。
由結:先生は今日も本当に肌の色つやも良くて、いつもそのようにお元気な感じでいらっしゃるんですか?
大倉:どうでしょうね、なるべくいいものを取り入れていこう思っております。そして、なるべく楽しくポジティブに生きていこうとは思っていますけれど。
由結:先生から波及して影響を受ける方も多いですものね。
大倉: いえいえ、それはお互いですよね。
由結:ありがとうございます。先週もお話しを伺いましたが、いろいろな心構えといいますか、“志”の話をいただいたんですが、先生は本当に魅了されるお声をお持ちなんですが、特別な発声練習等、舞台前になさるのですか?
大倉:我々の世界で発声練習しているところを見たことがないですよ。そういう概念が無い。
由結:概念がない?
大倉:例えば、洋楽、オペラとか楽屋裏で発声練習をやっているじゃないですか。それは能では絶対にあり得ないですね。
由結:あんまりイメージがないですね。
大倉:そう。そしてね、楽器を奏でて、楽屋でウォーミングアップみたいなことは全然しないんですよね。楽器を、道具って言うんですけれど、道具を組み立てて準備している時に、調子の確認したいじゃないですか。子ども時代にちょっと音を出したら、父から「なにやってんだ!」って、睨みつけられたりしてね。それで、「あ、いけないんだ」って感じた。ですから能の場合はそういう次元で成り立っているんだなってことは何となく感じてました。だけど、そういう説明も何もないですから、後になって思うのが、やっぱり音に対する捉え方。そういうのが他とことごとく違う。現代人の音楽や音楽に対する概念、価値観っていうのは、整理された音、正確な音、ドレミであったり、和音であったり、そういう整然とした、人工美というか、人工的に作り上げた美の世界…それがあるわけですよね。ところが、能はその人工美に対して、自然美の世界なんですよ。正しく自然の移ろい、四季、そして湿度の違い、そういうものが音にも反映する、と。
由結:なるほど。
大倉:昔は、木造ですし、空気が違って当然。季節による仕上げ方、旬のものがあるのと同じ。だから“調べ”と言った。そこに気付いてきたわけですよ。我々現代人は、「良い音出したい」とか「人よりも大きな音」「インパクトのある音」「目立つ音」とかね、そういうものを求めがちです。ですから、例えば演奏前に鼓革を炭火で焙じるんですよね。炭火で鼓革をカリカリに焙じて、そしてぎゅうと強く締め上げ、指に固いのはめて、カーンと打てばね、湿度が高い時でも乾いた強くするどい音が出せるわけですよ。これは人間の知恵でもあり、技術でもある。そういう評価すべきところはあると思うんですが、反面、自然に沿っていると言えるかというと、人工に寄ってきているのかもしれません。
由結:そこに人間の手が入っているということでしょうか。
大倉:手の入り加減ですよ。人が手を入れるんだけど、自然を保つ。その微妙なバランスが、里山の概念だと思うんですね。
由結:里山の概念?
大倉:ええ、里山に暮らす人々は、下草を払って、手入れをし、枝打ちしたりしてアカマツ林を手入れすることで、その恩恵に松茸が生えてくる。そのまま雑木になったら松茸なんて育たない。人間が有機的にバランスを保ったとき、そこに恵みがある。これと同じように音にも調べ…その季節にしかない空気感が醸し出されるものがあるんじゃなかろうか、と長年やっているうちに、気付かせていただいた。私は、稽古を小鼓から始め、それから大鼓にスイッチしたものですから、鼓は素手で打つものだっていうのが頭にあった。当時、指に硬い和紙で作った指皮というものをはめて打つのが主流になりつつありましたが、修行時代、京都の舞台に行くと、京都は昔のスタイルを保ち、素手で打っておられる方が何人かいらして、それはもう何とも京言葉で言うはんなりした、包み込むような、柔らかい優しい調べだったんですよ。それに対して指皮をつけると音が強力でインパクトがあると。やっぱり若いうちはこっちの方がメリハリがあってかっこいいかな、と。京都のは、渋いかなって。江戸では、早くから文明開化が進み欧米化して、江戸の方の演者は指皮をはめてカーーンって強烈な音のインパクトでいくわけですよ。対比として、そっちの方が先進的だと。京都のはちょっと古臭いという、このバランス関係。両方を私は見ることができた。出会ってきたネイティブアメリカンやアフリカの人たちにも、自然との共生、能も古い概念でいけばいわゆる天地自在、そういう宇宙観があるんですね。宇宙と人のつながりがあるという天地人の概念がしっかり根付いている。能では、“調べ”というものは、本来はそのときの季節、空気が反映されたもの。湿度が高いときは湿度が高い調子で良い、張ったときは乾燥したときの調子で良い、それを味わい、メッセージとして受け取る、感性を刺激させる一つの要素として、親しむ、楽しむという概念があったんじゃなかろうか、と思ったわけですよ。
由結:まさに一期一会と言いますか、その瞬間しか生まれないということなんですね。
大倉:そうそう、まさしく一期一会ね。その日、そのとき、その場で生じる調べ。これに気付いて、そういうものを伝承していけたらと思ったわけですね。そうすると、見直すことが、色んなものに起こってきて。鼓の皮の状態も違う、調緒(紐)の太さも違う。いろんなものが変わってきているんですよ。そういうことにも気付いたり、それらをリプロダクト、再現していこう、と。麻一本、紐一本とっても、昔と今では全然違ってきて、麻の栽培をする方が少なくなっていて。昔は収穫の時期に合わせて、使用用途を見計い生育期間を変えていたわけですよね。日光の恵みをたくさん受けたものは、強い麻になっていく。その麻はそういう紐の調べになっていく。逆に若いうちは優しい衣類に使うとか、そういうふうにして使い分けが昔はあったわけですよね。ところが今はそういう伝承が絶えてきている。これもいかんなと。漆もそうですね。鼓胴に漆も塗られているわけですけれど、それも日本産の漆がどんどんなくなっていると。漆は輪島市の塗師の方々と、麻は栃木の鹿沼が主産地で、麻職人さんと一から見直していこう、と今活動しているんです。
由結:なるほど。よく職人さんの技術を引き継ぐ方がいないのが悩みだというふうにお聞きしますけれど?
大倉:それをね、引き継いでいただくだけじゃなく、それがちゃんと生活として成り立っていく、産業として成り立つシステムを組み立てなくてはならないと。ビジネスとして仕組みを構築しなければならん、というところが、今の取り組んでいる一番大事なところですね。
由結:なるほど、様々なご活動の中でも、そのことに力を入れてらっしゃるということですね。
大倉:鼓の調べから随分話が広がりましたけれどね。だけど、やっぱり、鼓の調べっていうのは、ただ単に人間だけが作っているんじゃない。人が、里山でいうと半分、色んな手を入れて、あとの半分は自然から賜る、そこから拝領される部分があってね、それで調和が保たれているということなんじゃないかと。
由結:自然の力って偉大なんですね。
大倉:その中に我々あるわけですからね。
由結:先生、先ほど指皮のお話が出ましたが、なんでも先生は舞台に立たれている時に指皮をつけてらっしゃらないとお聞きしたんですけれど、痛くないんですか?
大倉:今は別に痛いとか無いですね。昔は手に穴が開いたり、散々タコが出来て、出来てはタコが飛んでいくと(笑)。それくらいボロボロになって、そのあまりの痛みに奥歯がかみ砕けて。
由結:奥歯が噛み砕けてしまうくらい力を入れていたということですね。
大倉:もう奥歯が無くなってしまいまして。(笑)
由結:まあ! 先生はの本当に素晴らしい舞台踏んでいらっしゃるんですが、12時間ずっと鼓を打ち続けることをなさったとか?
大倉:ギネスにちゃんと登録すれば良かったね、なんて言われたんですよ。後の祭りじゃないですけど。
由結:そうですよね。前人未到の試みですよね。
大倉:朝8時から夜8時までね。オートバイメーカーさん、ヤマハさんと組んでね。当時のヤマハ発動機が、社長以下、役員から社員まで100名くらいで乗り込んで来てくれましてね、前日から。能楽堂周りの美術を全部ヤマハのデザイン部門の方が担当して。お客さんがいる12時間の間、立礼でお茶を飲んでいただいたり、お華を楽しんだり、エントランスにオートバイが展示してあったりね。そのオートバイも、鼓の音がデザインの元になっている。
由結:先生の鼓の演奏が元になっているとか?
大倉:私の演奏からインスパイアされて、デザインされたオートバイを展示したりとか、それから立礼のお茶の台やスチール製で花器もエンジンなんですよ。エンジンを花瓶に見立てて、突拍子もないことを企画したり、演目を全て水をテーマにして繰り広げる公演や東京都に企画を持ち込み、子どもによる能とか色々ととりくみました。また実はスタートするんですよ。12年間プログラムで、来年1月8日より毎年正月8日、2030年迄の12年間 能『2030年宇宙への旅』と題して宇宙時代に入り、伝統芸能 『能』が現代社会に担えることは何かを問う日本文化交流サロン新年祝賀会として、日本文化継承の志有る方々の集いを開催します。
大倉:そのうちね、ご案内するようになると思います。
由結:素晴らしい企画ですね。そして、先生、もうひとつたくさん事業をなさっているですけれども“一般社団法人志教育プロジェクト”こちらの特別顧問をなさっているということで、また来月も催しがおありですか?
大倉:これはね、“志”と人間の持っている“夢”は全然意味が違う。“夢”は大きな夢と言っても個人的である。“志”は社会性がある。だから“志”は、自分だけじゃなく、自分がやり遂げられなかったことを次の世代がまた引き継いでやってくれるような大志ですよね。そういう“志”を教育に取り入れていき、鼓を通して実際に体験してもらう。鼓を打ってもらったり、神社仏閣、聖地で鼓を奉納したりするチャンスを作ってます。そういう活動を推進して居ます。
由結:そうですか、それはこれからあるんですか?
大倉:そういう鼓を体験して、最終的には、今年は熊野の本宮大社が御創建2050年なんですけど、その2050年のお祝いにみんなで参加し、鼓の音を奉納していただこうと思っています。そういう企画をやってます。奉納文化。奉納は日本の大事な精神でね、昔はどこでも部屋に神棚があったじゃないですか。神様を祭って、その神前にて仕事をし成果を御供えする。最上の物を奉納するという精神につながると。
由結:先生、お話が尽きないんですけれど、そろそろお時間になりました。貴重なお話の数々を本当にありがとうございました。
[左上]馬の皮から作られる大鼓の革、[右上]大鼓を打ち続けてきた大倉正之助先生の右掌、[左下]大倉家に継承される約650年前の大鼓の胴、[右下]調べ緒は麻で編まれる。これらの「道具」から、大鼓の神秘的で優美な「調べ」が生み出される。