加藤眞悟さん 重要無形文化財総合認定保持者 能楽師「舞って舞ってあの世まで」
銀座ロイヤルサロン1週目
能楽師として歩むきっかけ
由結:それでは、本日の素敵なゲストをご紹介いたします。能楽師 観世流シテ方、重要無形文化財総合認定保持者、加藤眞悟先生です。よろしくお願いいたします。
加藤:こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。
由結:ご公演もお忙しい中、本日はお越し頂き、誠にありがとうございます。
加藤:このような機会をいただきまして、ありがとうございます。
由結:大変なご活躍でいらっしゃる加藤先生。長年のご功績から、2015年には重要無形文化財総合認定保持者を受けられました。早速ですが、先生が能楽に入られたきっかけを教えていただけますか?
加藤:能の世界は600年以上、今日まで続いておりますので、代々その芸を継承する家がたくさんあります。流儀の御家元をはじめ、長きにわたり芸を継承してこられた御家がたくさんありますが、戦後は、親がこの道の人でも、子が継がないということがでてきて、そのせいか、新しくこの世界に入る人もでてきました。学生から稽古を初めてこの世界に入ることも可能になったのです。入学した大学には能楽研究会という謡と仕舞を稽古するサークルがありまして、私は哲学科専攻でもあり能の思想的な面にも魅せられて好んで稽古しているうちに、大学3年のときに今の梅若万三郎師匠から「玄人にならないか」と声をかけていただきました。能の道に入ったきっかけはその一言です。
由結:なるほど。家業として代々継承している方が多いような印象がありますが、そういう中で、大学生時代に始められたということですね。
加藤:どの世界もそうだと思うのですが、能の世界も時代を反映した仕組みが作り上げられていきます。私の2、3年先輩でも、大学を出てすぐ実際の舞台に、地謡(じうたい)と言うのですが、コーラスの部分で出演したり、企画力のある方は自分で主役というシテを舞うという姿を見たりして、なんてこの世界は清々しい世界なんだろうと思いまして決心したような次第です。そういう先輩方がいらっしゃったのです。
由結:なるほど。そういう背中を見てというのもあったのですね。能楽というのは、非常に懐の深い世界なんですね。
加藤:そうですね。本当に今もそうです。わたしも新しいことをさせていただいております。芸術的なことに関しては、どんどん積極的に行うように、能楽界の中で認めながらお互いが発展するようになっていますね。
由結:寛容な世界観ですね。お稽古なんかは厳しいと想像しているのですが、如何でしょうか?
加藤:ああ、厳しいところは厳しいです。白は白、黒は黒みたいなところがはっきりしています。芸というのは、やっぱり山を、登っていくものなんですね。師匠は自分よりもずっとレベルが上なわけです。それで、私は哲学科出身だからついいろいろ考えてしまいますけれども、しかし芸を教えてもらうわけですから、自分が到達していないことを言ってくれる。ですから、言われることに対して、無心に信じたほうが向上が早い、そういう素直な人がいいよと、よくいわれています。
由結:そうなのですね。こういう伝統芸能の世界というのも、一つ、閉じられたようなイメージもあったりして、しかもその武士が元々嗜んでいたというイメージがありますが、その中でも、恋愛をテーマにしたようなものがあるのでしょうか。
加藤:それはとても人間の自然な営みですから、あります。でも能の中の恋愛というのは、好きになりすぎてしまう人間の心みたいなものがテーマになるわけです。片思いや、自分の思いが届かないなどです。能というのは、大体悲劇を舞台化しているものですから、やはり恋愛にしても不条理みたいなものがでてきます。人間が生きる中でのそんな不条理を解き明かして、人の心を慰めましょうというのが、能の精神なので、そういう恋愛の捉え方をしています。
由結:素晴らしいですね。今後も様々なご公演をこれからもなさっていくと思うのですけれども、今度の令和3年5月5日に明之會において、ご公演がございます。少しご紹介していただいてもよろしいでしょうか。
第23回目の『明之會』
※第23回目の『明之會』は、コロナの為に延期となり9月19日開催予定です。
加藤:はい。令和3年5月5日、子どもの日です。毎年5月5日に、明之會(めいのかい)と名前を付けて、私のリサイタル公演のような会を開催させて頂いております。今年で23回になります。こういう個人の会でも認めてくれる能の懐の深さを感じています。この世界にも師からお許しを頂くという文化がありますが、師が弟子のこの者の芸は今はここと習い物の演目が許されて公演できます。自分にとっては、数年前までは高見の極みと思っていた演目を毎回挑戦と思ってさせていただいております。
由結:独自の世界観ですね。この中でも『木賊(トクサ)』という、貴重な演目をされるということですが、これは子を思う親の物狂いのお話だそうですね。このときに使われる“面”ですか。本当に貴重なお面なのですが、特別に本日スタジオに持ってきて頂きました。
加藤:こちらが『木賊』で使う「小牛尉(こうしじょう)」という面です。ラジオの放送の方には、お話だけでもと思います。能面は変身する道具ですが、私たちは道具以上の大切なものと思っております。同じ名前の能面でも微妙に表情は違いがあります。「能面が決まらないと、その曲の演技が定まらない」と師から教わっております。演目の解釈の中心に能面を据えて演じます。ですから能面の表にはその演目の精神の魂が残り、能面の裏には数百年に渡る演者のその演目にかける魂も残っているのです。“能面”を手に取ったら必ず“拝”をします。“拝”をしてから“面”をかける。演技が終わったらまた拝をして置く。ということが行われております。能を理解していただくときに大事な心得ではないかと思いましたので、お持ちさせて頂きました。
由結:誠にありがとうございます。このお持ち頂いているのが小牛尉という面なんでしょうけれども、それぞれ表情が違うのでしょうか。
加藤:そうですね。高砂の前シテ等に使う神の化身の老人の小牛尉や、今回の木賊で使う小牛尉。また、もっと人間の苦しみを味わったような表情の小牛尉とか、そのわずかな表情を見ながら、能を観るほうも演じるほうも、その精神を感じ取るというようなところを楽しんでいたのではないのかなと思います。芸術作品なので、やはり受け手の感じが大事なんじゃないかなと思います。
由結:なるほど。先生、やはり、お話が哲学的で、とても深みがございますね!
加藤:いえいえ。ありがとうございます。そういうふうに、少し原因を解き明かすのがやっぱり楽しいので。師匠から教わるのは、こうやって歌うんだよ、舞台を歩くときには上下はしないで、日常生活が出ないように、仕草にならないように、型としてやりなさいということを教わります。謡も、一つの型の中で謡いなさいと。そういったことを習うわけですけども、じゃあその抱えている精神状態は、そこは個人個人の感性によるものなので、そこを磨かないと、すごくそういうものを持っている世界なんです。
演じること、舞台に立つこと
由結:そうですね。やはり能楽師でいらっしゃると、演じること、舞台に立つという役目もございますが、それ以外の様々なお仕事があるということですね。
加藤:そうですね。能の公演をする機会を作ってゆくことです。能の公演事業をプロデュース、サポートしてゆくことです。
由結:素晴らしいですね。“能”に関心がある方もなかなか格式が高いと思い、行けなかったりする方もいらっしゃるかもしれないのですが、ぜひ、今度5月の5日ですね。ちょうど子どもの日に公演がありますので、ぜひ、足を運んでいただければと思います。(コロナの為に延期となり9月19日開催予定)明之會ですね。場所が国立能楽堂で行われます。
加藤:はい。ネットでも買えます。
銀座ロイヤルサロン2週目
由結:はい。先生には2週目、ご登場いただいております。ありがとうございます。さて、本日は、これいきなりなんですけれども、ここに先生の目の前に、スタジオに、謡本という、各々台本のようなものでしょうかね。
加藤:はい。そうですね。
スタジオで江戸時代の謡本披露
由結:では、明之會、5月5日公演(9月19日)ということで、ぜひ検索をなさってみてください。今手元に、謡本というものがございます。台本のようなものでしょうか。
加藤:はい。そうですね。
由結:こちらはとても古そうな本もありますが、いつの時代のものなのでしょうか。
加藤:この一番古いものは、江戸時代の謡本です。真ん中にあるのが、今私たちが使っている謡本で、これからお話させていただく、私が郷里の平塚で取り組んでいる復曲のために作った謡本がこちらでございます。
由結:一番新しいものですよね。
加藤:そうです。今までに4曲復曲しましたが、これは、今年の2月に復曲した一番新しい演目『和田酒盛』でございます。
由結:そうでしたか。まず、この本当に一番古いものを、先ほど手に取らせて頂きましたが、江戸時代のものは、ものすごく軽くて驚きました。
加藤:そうですね。本当に昔の和紙は軽いものだったのではないかなと思います。時代劇なんかでも本は山積みになっていますね。今は謡本は縦に置きますが、昔は平らに重ねて置いていました。
由結:そうですね。このような格式と伝統を重んじる能楽の世界を、さらに復曲という形で表現なさっていらっしゃいますが、これはとても大変な作業ではないでしょうか。
加藤:私一人の力ではとてもできません。「(公財)平塚市まちづくり財団
が理解を示してくださって能の公演を隔年で、これまで8回行われてきました。5回目から地元ゆかりの能を復曲させて頂いております。復曲というのは、今は上演されていない演目を、残された謡本を元に舞台に再現することで、この10年間で4曲手掛けてきました。復曲は能の中の考古学のような世界観を感じます。
由結:素晴らしいですね。考古学と表現なさるのですね。
加藤:考古学的な感覚です。それぞれの専門の学者方と一緒にチームを組まないとできないものです。
ですから、室町時代に上演されていましたが、今は上演されないとなると、どうして上演されなかったのかと思います。室町時代は庶民の人もお公家様も武士も寺社の人も、楽しんでいたわけです。ですが、江戸時代は武家が中心になります。江戸時代の武士に好まれない演目は上演されなくなってしまったのではないかということが、10年やっているうちに少しわかってきました。戦ばかりの過酷な時代ではあっても経済活動も活発で生き生きした室町時代の息吹をよみがえらせる復曲には、かえって今の私達に親しみの持てる部分もあるのではないかとも感じております。
由結:そういったところも推測をされつつ、研究をされながら、わかってくることもあるのですね。
加藤:そうですね。
由結:現代版の完成形に至るまでには、様々な労力とお時間が費やされているのですね。
こうやって復曲ですとか、新曲の能ですとか、様々なものに加藤先生はずっと取り組まれていらっしゃいますが、お若いこれからの世代の方にも繋げていきたいという思いがございますよね。
加藤:そうですね。やはり、日本の文化というのは、継承するのが今なかなか難しいというのがありますね。でも、外国では、逆に日本の文化に関心がある人がいて、よく言われますが、刃物にしても、尺八の演奏者にしても、外国の方が入門されている現状です。これからは能の魅力を英語などでも進んで発信してゆくことが必要だと思います。コロナで世界が同時に変わって行く中で、激動の室町時代に能はどうして花開いたかという背景を、今に伝えることが大事じゃないかと思っております。
由結:素晴らしいお考えですね。
加藤:今の価値観だけで過去を見ないことが大事ではないかと思います。現代の価値観で江戸時代のものを見ると、恋愛で心中するなんてと思いますが、それは当時、江戸時代では起こっていたことです。そこに理解を示すわけです。同じように、室町時代、戦の時代で武士は人を殺めてもしかたがない仕事です。しかしそれが、人としていいかどうかというのが人間の苦悩ですね。それが能の文化の中に色濃く反映されています。とても重いテーマですが、やはり、こういった苦悩を見ていただいて、何か感じてもらえたらいいかなと思っております。
由結:有難うございます。素敵な感覚ですね。
加藤:能は、わかるよりは、なにか感じてもらうような世界です。でもまた、どう感じたらいいのかということがよく言われます。日本は自然が豊かな島国ですので、日本の音楽の音は、自然の音を再現する。例えば、西洋の音楽は一つの音を定めるといつも同じ音の高さですが、私たちの謡というのは、音の高低は常に変化していきます。風の音のように、うねりのように、それを聞いていただけたらなと思いますね。
やはり、自然に対して、日本人は、ほかの国の方たちよりも強い感受性を持っているのではないかと思います。これまで生きてきて感じることは、自然をもっと好きになり、自然を再現するということに気を使って舞台を作っていただけたらいいんじゃないかなと思っております。
由結:そうですね。自然との調和、自然界に対する感謝。素晴らしいですね。
加藤:私たちが目指しているのは、そういった視点ではないかなと思っております。
『和田酒盛』の復曲
由結:そうですね。ぜひ、様々な観点でご公演をご覧頂きたいと思います。ちなみに、「第8回湘南ひらつか能狂言」というのが、すでに開催されました。今回、『和田酒盛』を復曲されたことについて、少しお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか。
加藤:はい。能を作った世阿弥は魂の救済という観点から心の有り様を細やかに書き込み、芸術的な価値を高めるわけです。世阿弥は「平家物語」を題材に作品化し、お公家様にも武士にも好まれました。復曲で取り組んでいるのは、「曽我物語」という、もう少し庶民的なものです。その庶民的なものの中に、当時のスターであった音阿弥が舞っているという記録もあるので、復曲で取り組んだ作品も当時愛されていたものではないかと推測されます。
この『和田酒盛』ですが、曲
からわかるように、酒盛りのときのちょっとした事件がハッピーエンドで終わるといった内容なんです。曲名の和田は和田義盛という人で、鎌倉幕府の侍別当という役職の武士です。今でいうと検察庁と防衛省を合せた役職の長であった人です。大磯の宿で和田義盛が主賓の酒盛りを催します。曽我十郎祐成(兄)は恋人の虎に、死を覚悟した敵討ちを打ち明け、虎は涙にくれています。義盛は街道一の遊女、虎を所望しますが、虎は悲しくてなかなか出て向けません。母に説得されてやっと虎と祐成が酒盛りに出て来ます。母は、義盛のご機嫌直しに「思い差し」という思い人に盃を傾ける余興を提案します。普通は主賓の和田義盛に盃を向ける訳ですが、虎は、死を前にした祐成に嘘はつけないと祐成に盃を持っていってしまうのです。
由結:それは、きっととんでもないことですよね。
加藤:とんでもないことですね。ちゃぶ台返し的行為です。もともと呼んでもいない祐成がいることだけでも義盛にしてみれば我慢していた訳ですから、「なんでお前そこにいるんだ」みたいなことを言われながら、虎は祐成に盃を向けてしまう。そこで義盛家来と一触即発の事態になるんですけど、機転をきかせて最後はハッピーエンドで終わるのです。
由結:いろいろありましたが、ハッピーエンドに!
加藤:そう。話すと話が入り組んでいますが、先日の公演では、権力に従わない純愛というテーマがはっきりしているので、見ていてとてもわかりやすいと好評だったんですね。絵巻物のように事件が展開していくので、いくつかの名場面を並べて見ているようで楽しんでいただけたようです。あと、コロナ自粛で閉塞している中、やはりこう、最後はハッピーエンドで終わるので、とても評判がよかったのです。
由結:心の平安ですね。
加藤:そうですね。
由結:加藤先生はこれからますますご公演でお忙しくなることと思いますが、またぜひスタジオにお越し頂ければ嬉しく思っております。
加藤:また機会がございましたら、是非よろしくお願い申し上げます。
由結:はい。是非、よろしくお願いいたします。さあ、本日は能楽師 観世流シテ方 重要無形文化財総合認定保持者 加藤眞悟先生にお越しいただきました。貴重なお話をどうも有難うございました。
加藤:ありがとうございました。
加藤眞悟さんのプロフィール |
能楽師 観世流シテ方 梅若研能会所属 1958年生まれ。神奈川県平塚出身。 日本大学文理学部哲学科卒業。 故二世万三郎および三世万三郎に師事。 観世流準職分。重要無形文化財総合認定保持者(一般社団法人日本能楽会会員)。 在学中に現万三郎師に師事し、梅若万三郎家に入門。 昭和62年能楽養成会教程修了。 同年より梅若研能会例会のシテを勤める。 各地で能の普及に努める。 海外公演にも多数参加。 平成25年新作能『将門』(小林保治作)の制作に携わり初演のシテ。 26年平塚市ゆかりの番外曲『真田』を復曲し「湘南ひらつか能狂言」にて初演のシテを勤める。 以来28年『伏木曽我』、令和元年『虎送』、令和3年『和田酒盛』を復曲する(監修:梅若万三郎)。 平成11年より毎年国立能楽堂で明之會(自主公演)を開催。 「眞謡会」を主宰して愛好者に謡と仕舞の指導をしている。 主な開曲「猩々乱」「石橋」「道成寺 赤頭」「砧」「望月」「安宅」「恋重荷」「卒都婆小町」「鷺」「木賊」。 公益財団法人梅若研能会理事。 公益社団法人能楽協会東京支部常議員。 湘南ひらつか能狂言実行員会顧問。 『真田』『伏木曽我』『虎送』『和田酒盛』の復曲検討会代表。 よこはま能の会実行委員会顧問。 いせさき能実行委員会顧問。 平成29年より いせさき教育アンバサダーとして活動、市内の小中学校で能のワークショップを行う。 |