風間健さん 気練武心道 道主「物の損得から人の尊徳の時代へ」
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“気練武心道”とは
由結:さぁそれでは本日の素敵なゲストをご紹介致します。気練武心道・道主、エミーナジョイクリニック銀座 統括相談者でいらっしゃいます風間健先生です。風格たっぷりの先生にお隣に座って頂いております(笑)
風間:いえいえ(笑)
由結:本日はよろしくお願い致します。
風間:こちらこそありがとうございます。よろしくお願い致します。
由結:早速ですが、“気練武心道”というお名前にはどんな意味があるのでしょうか。
風間:はい。”気”と言うのは”精神と肉体がバランスを取る”と言う意味がありまして、それを”気を練る”と言う意味で学ぶと。それから”武心道”と言うのは”武術”と言う意味を心で学ぶ。”道”と言うのは”人道”と言う意味なのですね。”人道”と言うことは人の道に対して学び、完成させる道と言う意味なんですね。これは日本の中では”武士道”と言うのがありますから、武士道と言う時代は、僕は「平成から終わっただろう」と。だからその”心の時代”がくるとグローバル性を考えたら、世界に”武士道”と言う言葉を言うと”特攻隊”を思い出しちゃうから、それは良くないと。だから”心”で交流と言うことであれば、インターナショナル的に平等に物事を考えるであろうと言う考え方ですね。
由結:なるほど。風間先生は”空手・少林寺拳法・キックボクシングに合気道”と様々なものを極めていらっしゃるとか。
風間:合気道は極めていると言うよりも、合気道に到達するという事ですね。武道の本質と言うのは”合気”なんですね。その道と言う意味においては技術的には違うかもわからんけれども、考えかたは合気道なんですね。それで合気道は本質的なものが最終的には求めるんじゃないかと思うのです。ただ合気道は動きを学ぶと言うのは”術”のほうですから、全く意味が違ってくるんですね。
現代に生かす“武士道の七つの徳”とは
由結:なるほど。奥深いですね。先程”武士道”と言う言葉もでたのですけれども、この根幹になるものに”武士道の七つの徳”がありますね。具体的には、”義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義”。こういうふうに言葉だけで聞くと凄くちょっと難しそうみたいな感じがするのですが。
風間:そう、堅苦しく感じるでしょう。
由結:はい。現代において実際の場面でどういうふうに使っていけばいいのでしょうか。
武士道“七つの徳”のうちの“義”について
風間:”義”と言うのは、例えば”正義”という言葉皆分かるだろうと思いますが。それで”義理”だとか、そういうように考えると”義”と言うのは何かと言うとやっぱり”約束事を守る為に心に誓いをする意味”なんですね。だから”義を通す”と言う言葉は、「約束事を守れ」と、「男は男らしくあれ」と、「それに対する言いかたをきちっとしなさいよ」と言う意味を言うと言うふうに、分かりやすく言えばそういうことですね。
由結:なるほど。皆様々な情報がある中で、物事を決定できなかったり、悩むばっかりで行動できないみたいな所もあると思うのですね。
風間:それは今こそ大事じゃないでしょうかね。やっぱり決断力と言うのは何かと言うと、社会で起きたことというのは妥協する勇気が必要なのですよ。それで個の作りかたをする・自分を作るということを学ぶと言うことに関してはやっぱり”主張する自信と責任を持たないといかん”と言うことになって。例えば個々を確立する上においてはやっぱり社会と言うものを考えてはできませんね。それは武術の意味で表現するとわかりやすいですね。人のことで人間性を語ったところで試合は勝たなきゃならんだろうと言うことになるとですね、”己に勝てない人”はやっぱり武術家とは言えませんよね。だから”個を強くする”と言う意味で。
由結:”まずは自分に勝つ” と言うことなのですね。
社会では“妥協する勇気”が必要
風間:そこから社会における”人道”という世界に入った時に”妥協する勇気が必要であろう”と。
僕は妥協することは、若いうちは”弱いことだ”と思っていたら「妥協するのはすごい勇気のいることだな」と思った時に、本質的に考えれば人間は弱いものですから、だからそれを支え合うというところで社会と言うものが受け取れることによって人間的に成長するのではないかと思っていますけどね。
由結:なるほど。まさに今は”助けあい”とか、色々なかたがコラボして色々お仕事を生み出したりしている時代になったような気がしますが。
風間:丁度時代がいいんじゃないですか?僕は”コロナ様様”とも言っとるのだけども。それを裏返せばコロナと言うのは”人を傷つけ、人を殺してしまう”インフルエンザ的なものがありますけどね。ただ”災い転じて福となす”と言う意味においては、コロナがあったことによって皆が会話を交わす時間・考える時間、それから「今でいいのか?」(今のままでいいのか?)と言う反省する時間。むしろそれをくれたこともコロナのおかげではないかなと言うふうに受け取っていますね。
由結:はい。反省し、”考える時間をもらった”と言うことでしょうか。
“心の尊徳”について
風間:考えること。例えば、”心の尊徳”と言うのはですね、やっぱり損か得かと言う意味の物の意味じゃなくて、”尊厳すると徳”と言う意味です。それが要するに心の徳なのですね。それで物の損得と言うと「損か得か」と言うことになる。それはちょっと考えかたが違うのではないかな。だから物に走り過ぎた今の社会がコロナによって平等に世界がその被害を受けているわけですよね。そういう面においては「ちょっと反省しなさいよ、貴方達は」と言うことが、100年おき100年おきでそういう物が起きているんですよね。”チフスの問題”にしてもそうだし。インフルエンザの問題と言うのはそういうことを国際的にいっても平等に与えるんですね。そうすると「皆団結しろよ」と「貴方達の力では所詮こんなこれぐらいのことしかできないのか」と言う啓示を与えられているような気がしてならない。
由結:なるほど。今何となくコロナと言う問題があることによって、皆が同じ方向に向かって努力し動き出したと思います。先生はその点はどのようにお考えですか?
風間:”自粛する”と言う言葉で、自分達が今まで働いてきて、金儲けに走った所に、この状態をくれたことに関して僕は”災い転じて福となす為のコロナと言うことかなと言うふうに感じてますね。
由結:なるほど!凄いですね。何か先生とお話しているとまさに”武道の精神”を感じられると言うかですね、凄く大きな器の中でお話させて頂いているような気がするのです。
“失敗を恐れる”のではなく、“失敗を反省する”
風間:失敗し過ぎたからじゃないですか?”失敗を反省してきたから分かる”と言うことはあるのですよね。だから”失敗を恐れる”と言うことは僕はおかしいと思っているので、失敗をすることで皆反省して成長しているわけじゃないですか。だから失敗を恐れるとやっぱり警戒心旺盛になって守ることばっかりやっちゃうんですね。そうすると自分を素直に出せないんですよ。だからその弱みに付け込まれたら嫌だから、それを騙すと誤魔化すと、上手く避けようと。もう結果的に逃げることを考えちゃうんですね。
由結:そういうものなのですね。
風間:うん。戦いを嫌がっちゃうんですよ。良い意味の戦いと悪い意味の戦いがあるじゃないですか。だから自己との戦いをするような余裕を持ったほうが、自己に対する勉強はできるのではないでしょうかね。
風間先生から“誠明学園”の卒業生の方々へメッセージ
由結:なるほど。先生、ここでどなたかにお届けしたい言葉はありますか?
風間:僕は昔ですね、”児童自立支援施設”に40年訪問していたんです。そこには、小学校・中学校の子ども達・犯罪を犯した子ども達がいて、僕はその子達にあった時に「あー、不憫だな」と、「小さいのにそんなこともしなきゃいかんのか」と。自分のエネルギーが余っていてやり過ぎちゃって犯罪者になっちゃった子ども達が結構多かったんですよね。その子達をずっと40年間訪問をして「君達が何かあった時は、風間健と言う名前を俺が世に出すから、その時はいつでも訪ねてこい」と言ったままだったんです。「今どうしてるのかな?」と一人一人の顔を思い出します。皆、家族を持ったりとか子どもを育てているとか、自分なりに試行錯誤しながらも一生懸命生きてるという人達に、再会できたら嬉しいなと思っています。
由結:そうですね!先生のことを未だに心の支えとして思っていらっしゃるかたも多いでしょうね。
風間:東京の青梅市にある「誠明学園」と言うところです。その学校の中で色んなことがあったんですけど、その中でとても素直な傷ついた子どもも沢山いたので、「その子達にチャンスを与えられるような生き様をしよう!」と自分にプレッシャーかけているんですよ。出会った時に皆が喜んでもらえるような生き方をしたいなと思っているんです。
由結:先生、素敵なメッセージありがとうございます。まだまだお話伺いたいのですけれども、そろそろお時間になりましたので。是非またご登場頂いてお話の続きを頂きたいと思います。
風間:この時間を頂いて感謝しています。ありがとうございます。
由結:ありがとうございます。それでは風間健先生でした。どうもありがとうございました。
プロフィール |
1943年
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