高取宗茂さん 株式会社和僑ホールディングス 会長 兼 Founder・実業家・茅場町「不二楼」総大将「外食産業を通じて世界を幸せに。」
2018年6月14日(木)放送 和僑グループ Founder 兼 会長・実業家・ 茅場町「不二楼」総大将 高取宗茂さん(1) |
2018年6月21日(木)放送 和僑グループ Founder 兼 会長・実業家・ 茅場町「不二楼」総大将 高取宗茂さん(2) |
銀座ロイヤルサロン1週目(2018年6月14日)
由結:さあ、それでは本日の素敵なゲストをご紹介いたします。“和僑グループ”Founder兼会長、実業家でいらっしゃいます、高取宗茂さんです。よろしくお願いいたします。
高取:よろしくお願いします。
由結:私の目の前に体格のよい、笑顔の素敵な方が座ってくださっています。まず高取さんのプロフィールのご紹介をしてまいります。高取さんは1971年生まれ。佐賀県唐津市出身です。実家が調理師学校であったころから、幼少より様々な料理の哲学に受けられました。18歳から単身福岡で屋台を引きはじめ、“和僑”の概念である“僑居和食“の考え方を軸に世界中に100店舗以上の様々な業態を生みだしていらっしゃいます。現在は日本橋茅場町“不二楼”の総大将として現場に立つかたわら、“和僑ホールディングス”会長を務めていらっしゃいます。たくさん経歴がおありで、多方面でご活躍でいらっしゃるので、どこからお聞きしていこうか、という感じです(笑)。
ちなみに高取さんは日本外食新聞でもコラムをされていますよね。“外食サムライ道”という名前なのですが。
高取:そうなんです。編集長に名前をつけていただいて、恐縮なのですが。
由結:外食産業を生み出した第一人者としてご紹介もされているという高取さん。まず伺っていきたいのが、先程“僑居和食“という風にご紹介したのですが、これが和僑グループの軸になっているとそうですね。こちらはどんなものなのでしょうか?
高取:僑居(キョウイ)というのは、海をわたるという意味合いと、現地の国で生活したり稼いだりという言葉の語源です。それに、もともとは“ワミン”という、和の民と書くのが“和僑”という。2文字に短縮すると“和僑”という言葉になるのですが、日本人はもともと
日本の国が大好きですから。世界中どこにいても故郷に錦をかざりたがる。中国人の華僑のようにその土地に根づくという日本人もなかなか少ないですから。ですから、我々は民という文字を“食“、と。食文化をベースに、世界中の人々の生活に根づいた、プロフェッショナル集団を目指すというところで、“僑居和食“という言葉を、我々の軸に掲げさせていただいています。
由結:そうですか。それをもとに事業展開を長年されていらっしゃるということですよね。
高取:はい。
由結:そして高取さんのご実家なのですが、調理師学校だったそうですね?
高取:はい。日本で最も古い部類に入る調理師学校でございまして。うちの祖母が、第一人者で、ですね。全国の調理師学校協会の副会長をずっとつとめていたり。豪傑と、みんなから女帝といわれるような祖母でございました。
由結:茶道や華道も極めていらっしゃり、素晴らしい料理の世界で確立なさっていらっしゃったのですよね。そんなおばあ様がいらっしゃるご家庭でお育ちになったわけですが、その高取さんのご実家というのは、佐賀県唐津町国指定の重要文化財になっているそうですね?
高取:はい。今は。入場料500円かかります。ぼくもチケットを買って入ります。
由結:由緒あるご家庭だったのですね。暮らしぶりはどんな感じだったのでしょう?
高取:事業家、実業家でもございましたので、祖母も父も非常に夜遅くまで仕事をする家でございました。家にはお手伝いさんもいました。ぼくは、おまえは学校を継ぐんだぞと言われて育ってきました。どちらかというと梅の木を見ながらウグイスの鳴き声を練習するような、聞きながらぽかんとするような子どもでございました。
由結:風流なお子さんだったのですね(笑)。
高取:お坊ちゃんお坊ちゃんしていました(笑)。
由結:筋金入りのおぼっちゃま…!そんなお子さんはどんなふうに育っていくんだろうって興味があるのですけれども。
高取:本当に旧家の習わしに耐えられなくて、ぼくを産んでくれたお母さんは早く家を出て行ってしまったので。寂しかったですよ。意外と出前も取りました。料理をちょこちょこ教えてもらったら、その料理を自分で作って食べるということはありましたが。
由結:そうですか。自分でもその頃から食べることは好きだったということですね?
高取:そうですね。それが基準ですね。
由結:きっと本当においしいものや厳選されたものも、周りにたくさんある環境ですよね。
高取:そうですね。一番は本物の味をきちんと知るということをずいぶん学びました。そのへんのあり合わせのものでいかにおいしいものを作るかということも。決まったレシピで作るとみんなどれでも同じように作れるんですけれども。冷蔵庫ガチャっと開けて、「今日は誰のために何を作ろう?」と想いながら作るというのが、一流の料理人だというふうに、ぼくは訓示を受けて来たので。
由結:なるほど。誰のために?ということですね。
高取:そうですね。人を想うことに料理というのは核心があるので。
由結:なるほど。そして、時を経て、屋台を引くことになったそうですね?これはどんなきっかけで?
高取:中学校3年の時に、学校が倒産しまして。父に呼ばれまして。「お前、今まで学校を継ぐということになっていたけれども、お前はお前の道を行け。」ということを中学校3年生の頃にいきなり言われまして。小学校の頃からぼくは作文で学校を継ぎますと言っていたような生き方だったのですが。なまじっか将来を考えなかったんですが、急に考えるハメになりました。ところが父も末期がんになりまして、余命半年の宣告をうけてですね。父の病院の入院代も、治療費も、もちろん家の生活費も、どうにもこうにもできないという状態だったので。とにかく必死になって働く。基本が料理しかできませんでしたから。だから屋台でも引こうかということで。福岡の天神で、ですね。
由結:まぁ、そんなことが…!それで、福岡で屋台を引きはじめて…。屋台って重いんじゃないですか?
高取:重いんですよ。屋台ってみなさん出すところはあまり見ないと思うんですが、福岡は屋台の専用の駐車場があって、そこから決まった場所まで運んでくれる引き屋さんっているんですよ。トラックの後ろに連結して引いてくれる。その引き屋さんが見つからなくてですね。自分で押して引くんですが、2トンくらいあるんですよ。普通に車輪が2つしかついていないので、勾配が0.1%くらいでも上がっているともう上にあがらない。バリアフリーもくそもない時代ですから、もう段差があると上がらない。信号停車中に車が停まっていると横断歩道をわたるのも、わたり切れるのかどうなのかという、かたずをのんで福岡で見られていたみたいな。しばらく名物だったみたいですけどね。
由結:そうでしょうね・・!
高取:楽しかったですけどね。
由結:そこでもいろんな出会いがきっとあったんでしょうね?
高取:そうですね。ろくでもない出会いからいい出会いまで。いろいろございましたね。
由結:高取さんの事業はこの屋台から始まり、今では世界中に100店舗以上展開されていますね。飲食業界に特化しようと思われたきっかけは何ですか?
高取:最初は、ぼくはずっと食の世界で生きていくのが嫌で、必要にせまられて屋台を引いたのがあったのですが。その後、いつかぼくはいつかスーツを着てネクタイをしめるような仕事もしてみたいということもたくさんあって、自分の人生は飲食の仕事だけではないというのを、ずっと言い続けてやってきたという…副業感覚だったのですね。メインの仕事だったのに副業感覚でやってきたのですね。だから今の若い子たちが飲食やりたくないと言っている気持ちも何となくわからなくはないですね。ぼくは食のことがあまり好きではなくて。特にぼくは料理学校がつぶれて有名な一族でしたので。だから料理で屋台を引っ張っていると、「もしかして高取先生のご関係で、今こういう料理屋さんをされているのですか。」と言われると、「いいえ、違います。」と言って(笑)。切り離して生きていましたよね。ところがいろんな紆余曲折、いろんな人生を歩んでいくうちに、底辺で虐げられて生きている人たちとか、なかなか思うように生きていけない人たちの生き方を見ていきながら。食ってそういう人たちの人生にも密接によりそっているものですから。なので、切実な問題として、生きることってなぜこんなに難しいのだろう、と。ぼくは屋台からスタートしたところがあるので、食という、この屋台の仕事でも飲食店での仕事でも、もしかしたら持たざるもののためのビジネスではないかというふうに思いだして。意外と底辺から上がってきたり、のし上がったりするための手段としては、飲食というのは非常に有効じゃないかなと思ったところがきっかけだったんですね。
由結:なるほど。持たざるものが上に上がっていくための1つの手段という…そんな側面があるわけですね。
高取:その手段を持っていない人って意外と犯罪に手を染めてしまったりします。海外だと子どもは社長の車の窓をふいてお金をせびったりとか、女の人だったら体を売ったりとか。生きていくためのいろいろな必死の手段として、何も持っていない人はそうやって生きていかざるえないわけです。でもそういうことじゃなくて、ラーメン1杯持っていくだけで人から感謝されて、その上でみんなが飯も食えるという幸せの世界があるから。そこをきちんと落としこんでいくやり方。釣った魚をそのまま持っていくだけじゃなくて、釣り方を教えて、道具をわたす、みたいな。
由結:なるほど。そのひと手間というか。その仕方を教えているということなのですね。この事業そのものというのが、今世界中で貧困国と呼ばれているところの屋台につながるんですね。
高取:そうですね。今取り組んでいるのが、ベトナムで飲食店を展開しているんですけれども、それとは別の流れで。現地のとにかくローカルのエリア。ホーチミンとかハノイとかは別ですが、本当に離れたところは刹那的にみんな生きているんですよ。給料もらったらもらった分だけ使う。そのまま2~3日したら仕事する、みたいな。将来を見れなかったり、夢を見れなかったりする人たちの戦う武器として。例えばぼくがスタートした屋台みたいなものが彼らのツールになってくれればそれもいいんじゃないかと思って。と結構本気でやっています。本気でやっていますよ。
由結:はい、これからさらなる展開をなさるということで、次回またくわしくお聞きしていきたいと思います。それでは高取さん、ありがとうございました。
高取:はい。ありがとうございます。
銀座ロイヤルサロン2週目
(2018年6月21日)
由結:さあ、それでは本日も素敵なゲストをご紹介いたします。“和僑グループ”ファウンダー兼会長、実業家でいらっしゃいます。高取宗茂さんです。よろしくお願いいたします。
高取:よろしくお願いいたします。
由結:前回は外食産業について熱く語っていただきました。そして、屋台を発展途上国で教えているというようなところも伺ったんですが、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか?
高取:もちろん。一応屋台というのは、どうしてもノウハウがいるので。いかにそのノウハウを簡素化してあげるかっていうことに、うちのチェーン店の技術が非常に注ぎ込まれているという。昨日今日学んだ子たちだけでも、十分ごはんが食べられるというかたちのスキームまではなんとか作り上げることをしています。何か特別のノウハウがいるとかではなくて、我々が苦労してそれを提供していくだけにしておいてあげれば、現地の人たちも使えるようになります。だいたい年内である程度環境が整うんじゃないかと。
由結:そうですか。どの国で?
高取:今ベトナムですね。バクリュウという、ホーチミンからちょっとまた南側ですが、超ドがつく、田舎ですね。
由結:現地では、屋台なんていうもの自体、概念がなかったわけですよね。
高取:そうですね。日本語で屋台なんて、特に聞いたことが無いと思います。
由結:新しい技術としてお伝えになって、皆さんに何か変化はありましたか?
高取:皆さん、勤勉です。プライドも高いし。同じ国を相手に戦争している国同士ですから、意外と親日でもありますしね。彼らの第二外国語が日本語なので、意外と日本語は喋れないけども何て言っているか、何となく分かるんですね。
由結:聞いて分かるという受け取りですね。なるほど。じゃあそういった世界での展開というものもあるわけですが、どのぐらいの屋台を普及させようと思ってらっしゃるんでしょうか?
高取:まず当面の目標が、1000屋台ですね。
由結:そうですか。それによって人々の生活と言いますか。価値観というか、基本的な何かが変わるような気がするんですが。
高取:そうですね。生きていくために必死だった人たちから、生活にある程度ゆとりがあって。今日明日、飯が食えることがちゃんと保証されているっていうところから、人って明日のことを考えることができるとぼくは思っているので。その基本的な部分だけは殺してやりたいなという。まあおこがましい話ですけどね。
由結:なるほど。高取さんはこういった外食産業、食に特化してらっしゃるわけですが、高取さんにとって食っていうのは一体どんなものなのでしょうか?
高取:一番の究極の美食と言われているものは、おふくろの味と言われていて。一流の料理人になればなるほど、腕を上げれば上げるほど、味はおふくろの味にはかなわんと。やはりそういう風に言うんですよ。母親はほとんど毎日、365日、自分の子どものことを考えてですね。明日運動会だから力つくもの食べさせてあげなくちゃ、風邪引いているから消化に良いものを、と。毎日毎日、その子のことだけを考えて作っていくお母さんは大変ですよ。これぼくたちプロがやると、もう気が狂いますよ。ぼくらって、メニューを用意しているので、それを食べたい気分の時だけお客さん来てくれるんですね。でも目の前に来た人たちの体調を考えて、毎日違うのを365日作れと言われたら、もうほんと発狂しちゃうぐらい大変なことだと思うんですね。だから、やっぱり料理は愛情だと思う。いろんな先人たち、先生方もいっぱいおっしゃっていますけど、やっぱり料理は愛情が基本にあると思っています。食べてよかったなと思ったり、もしくは国際的なサミットの場でも各国が自分たちの国の威信をかけて美食を作る。その1番の概念は、おいしいところがあるところに争いは起きない、という考え方があるからなんですよ。食がもたらす人の心に対する幸福感。食べて幸せだなと、純粋に思えること。誰どこで何を食べるのかっていう。これは面々とこれから先もあるべきだとぼくは思っています。食の文化というものが、いわゆる日本の食文化っていうの、世界に出て行くというのは、ぼくはとても好ましいことだと思っています。で、その国の食文化とともに改変されていく。様々な多様性のある食に生まれ変わっていくというのは、ぼくはとても素晴らしいことだな、その一翼を担えればなと思っています。もちろん国内においても、元より今からの格差も広がっていくでしょうし、若者が夢を見られないような社会になっていく可能性もあるし、高齢化社会でもあるし。やっぱり彼らが、若いも子たちが、ちょっと自分がのし上がっていける。なんでこんなに搾取されてばかり、労働力を搾取されてばかりだろうというような、彼らのエネルギーの場所に、我々の外食産業というものが一翼を担えればなという思いで今一生懸命やっています。なかなか伝わらないんですけどね。
由結:そうですか。
高取:搾取型です、外食産業は。アルバイトを使い捨てしちゃったり、ブラックの問題があったり、いろんなことがあるので。やっぱり人が人として、やっぱり人間らしく生きていくためのアイテムとしてやっていくなら、もう少しちょっと在り方を変えなきゃいけないというふうに思っていますから。その部分では、組織の形も、働き方の形も、新しい形と提唱していく必要があると思います。
由結:そこに一石を投じていこうということですね。力強い言葉をいただきました。そういった概念、基本の考え方をもとに、和僑グループはたくさんの店舗を運営していらっしゃるわけなんですけれども、その中の1つには茅場町にあります“不二楼”。茅場町の駅を降りて歩くとすぐ、ここはどこ?と思ってしまうような、素晴らしい総檜の、宮大工の方が熟練の技術で作り上げたという外観のお店が現れます。
高取:みんな渾身の力を込めて、気合を入れて作ってくれたので。
由結:そうだったのですか。このお店の構想はどのくらいかかったのですか?
高取:1年ちょっとですね。ずっと3年から4年くらい、ずっとそのビルをやるということだけは決めていたので、ずっと頭の片隅でいつも考えながらでしたね。
由結:茅場町といえば東京証券取引所が近い金融の街。そこにそびえ立つビル。4階建てのビルで1階からコンセプトがありますよね。
高取:1階が焼き鳥。2回が天ぷら・創作和食。3階が熟成鮨。4階がbarです。
由結:まさに大人のディズニーランドですね。そこに行くだけですべてが完結してしまうという魅惑の空間! 私もいろいろと頂きましたが、先日は熟成寿司を頂きました。旨みが凝縮していて、ねっとりとした美味しさが口の中に広がります。あの熟成鮨の美味しさの秘密を教えて頂けますか。
高取:まずですね。魚貝のポテンシャルを極限まで引き出すという技術として、熟成を使っているということです。どの魚も熟成もかかるんですけど、どちらかというと鮮度の方がおいしいものもたくさんあるし、ぼくは元々さっきも言いましたけど、彼の唐津の出身です。どちらかというと鮮度のあるものを食べてきた側ですから。鮮度があるものはどうやって鮮度でおいしいものが食べられるか。で、たまたまその魚が熟成を使った方がおいしいっていうんであるなら、ぼくはそこに熟成を使っていくという。それを織り交ぜていくので。どちらかというと、熟成寿司という感覚ではなくて、“新江戸前”と、我々はそういうふうなジャンルで一応申し上げているんですよね。その中で魚貝の旨味というものが極限まで引き出す技術の中に、古来日本から面々と受け継がれてきた熟成の技術というものを、今の保存技術や今の科学技術というものをきちんとハイブリッドで組み合わせて。今の現代できちんと熟成を使うって言うのは、こういうふうな形になるだろうという研究を、今お店でやっているというような感じです。
由結:そうですか。新しい分野を切り開いていらっしゃるのですね!
高取:そうですね。過去の継承から次世代に残していくということを考えていくと、今後100年先の日本人が食べる寿司の原型じゃないかなということを思っています。どちらかというところ歴史に一歩。ロマンがある。
由結:高取さんはもともとロマンが好きなのですか?
高取:なにかワクワクしませんか?
由結:はい、夢がありますよね。今だけじゃなくて、その次の世代に引き継いでいくことを思いますと。その他のお店として、新橋が本店で有楽町をはじめ、たくさん店舗展開ある“日の丸食堂”。この日の丸食堂の“日の丸”っていうのは、何か意味があってつけられたのですか?
高取:みんなぼくのこと右翼じゃねえか、とか冗談で言ったりしますが(笑)、基本的には日本人ですからね。夢に見たんですよ、“日の丸食堂“という名前とまねき猫と、ロゴマークがどん、と出てしまったので。
由結:夢に映像が現われたんですね?
高取:お店がまだなかったんですよ。お店がまだなかった時に夢で見ちゃって。それなら、とその名前で調べたらないから。じゃあ日の丸食堂って名前でやろうっていうんですね。屋台みたい小さな店なんですけどね、本店は。ちょうど創業当時、ぼくが引いていたような感じの屋台だったので。屋台のようなお店だったので。東京の最初の1号店なので、第2の創業という気持ちで、もう一回リスタートしなおしてみようっていうふうに思っています。焼き鳥居酒屋として。
由結:ここがまず10周年をこの間迎えたということで、おめでとうございます。で、“不二楼”さんは?
高取:1周年です。おかげ様で、ですね。1年トライアンドエラーしてきましたけれども。ちょっとようやく1年経とうとしている。
由結:高取さんの中ではいろんな構想があって、それが凝縮されたものが“不二楼”さんということですかね。
高取:そうですね。そこに技術の深堀をきちんとしていきたいというのがあったので。ただチェーン展開だけをしていくじゃなくて、ですね。
由結:そうですね。そして、他にも新潟ラーメン“なおじ”。ここも大人気のお店ですよね。
高取:はい。そうですね。
由結:それから“ヒノマルステーキ”。脂肪注入をしていない、本物のお肉を提供しているお店ですね。これからもどんどん広がっていくと思うんですけれども、今後の展開や夢はありますか?
高取:そうですね。本当にこれから20年30年先になっていくと、日本でもとても生きにくい時代が到来するであろうし。もともと外食産業は参入障壁が低い業界ですから、誰でもスタートできるわけです。その中で力を持ってない子たちが、外食をきっかけにしてそのチャンスを持ち、より良い生き方ができるための礎になれれば…という。そういうグループを作りたいなというふうに思っています。
由結:壮大であり、そしてもうすぐ実現する夢ですね。
高取:そうですね。頑張ります。
由結:高取さんの情報は、ウェブ上でどうやったら取ることができますか?
高取:“和僑”で検索していただいても、ぼくの名前でも、各お店の名前でも、どこでも大体ヒットすると思います。
由結:そうですね。はい。有名ですから、“和僑”、“高取宗茂”などで検索をなさってみてください。
高取:はい。よろしくお願いします。
由結:よろしくお願いいたします。それでは、高取さん2週にわたりまして、本当にありがとうございました。
高取:こちらこそ、ありがとうございました。
●新江戸前鮨の「熟成」とは
魚の身の酵素(ATFアデノシン三リン酸)等を利用して、旨味成分であるイノシン酸を劇的に増やす技法。熟成の技術は各ブランドにより門外不出とされ、日本橋茅場町「不二楼」の技術は、日本で初めて400年ぶりに熟成の技法を鮨に組み込んだ藤永大介氏と不二楼代表高取宗茂氏によって創り上げられた独自技術である。