石山裕雅 太夫 無形文化財 武州里神楽 石山社中 十世宗家家元
銀座ロイヤルサロン1週目
目次
神楽の古典伝統の曲『大宮』
由結:お聞きいただいた曲は『大宮』でした。演奏いただいたのは、本日のゲスト、武州里神楽十世宗家家元 石山裕雅太夫。そして、親しみを込めて、本日は太夫さんと呼ばせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
石山:よろしくお願いいたします。
由結:はい。今素晴らしい音色がこのスタジオに響き渡りました。神楽の雰囲気伝わりましたでしょうか。私は、スーッと背筋が伸びて、邪気が飛んでいったような感覚がありました。お聞き頂いた曲は古典伝統の曲ですが、詳しく教えていただけますか。
石山:はい。篠笛の曲ですね。『大宮』という曲、地名の埼玉県にある大いなる宮居っていう意味がありますよね。この神楽の『大宮』というのは非常に難しい曲で、篠笛の中では最高峰というか、一番最後に習うような曲でして、大事にされてる曲ですね。先ほどは本当に一部だけをお聞きいただいたんですが、清めはらうっていうような意味合いがございまして、このお部屋もちょっと清めはらってから始めさせていただこうという主旨でございました。
由結:ありがとうございます。だからなんですね、とてもすっきりした感じがあります。
石山:はい。ありがとうございます。
太夫の子ども時代
由結:さて、300年以上にわたる里神楽伝承のおうちにお生まれになったという太夫ですが、どんなお子さんだったのでしょうか。
石山:極めて神楽とかとは縁がないというか、もう大嫌いだったんですよ。目立つことも嫌いで、子どものころっていうと、私が舞台に子どもが上がってると、また子どもが下から珍しがって茶化されたりとか、いろいろ楽屋に回ってきて、ジロジロ見られたりとか、もう嫌で嫌で、反抗ばっかりしてる、そんな子どもでしたね。
由結:まあ、そうでしたか。意外でした。
石山:そうだと思いますがね。
自分を変えた天才的な笛奏者との出会い
由結:この道一本でいこうと思われたきっかけはあったのでしょうか。
石山:そうですね。きっかけは笛の天才的な方との出会い。まずその音に出会ったんです。
由結:音に出会った?
石山:ええ。「こんな笛が吹きたい」と思ったんです。それで、一生懸命真似をして、いつの間にか自分から進んで勉強するようになって、「これ一本でやってやろう」という感覚は実はなかったんですよね。
由結:そうなんですか。そのきっかけとなる人物に出会ったときは、どんな点がご自分の中に響いたんでしょうか。
石山:まずその笛の音色の美しさとか、それと迫力とかですね。それから、吹いているメロディのかっこよさとか粋な感じとか、全てが衝撃的と言うんでしょうかね。同じ楽器を使っているので比較がしやすいわけですよね、自分とこんなに違うのかと。
由結:へえーっ。それはそれは素晴らしい音だったんだろうと想像します。そのご経験が太夫をさらに開花させたのですね。どんな感覚でしたか。ご自分の芯が一本通ったような感覚だったんでしょうか。
石山:はい。天命とつながったという感じでしょうか。
舞台に上がる前のプレッシャー
由結:その後のご活躍も素晴らしいのですが、そこに至るまでは順風満帆ではなかったとか。
石山:そうですね。舞台に上がって完璧にやるということ。プロは完ぺきが当たり前ですからね。ただ、ここに難しさがある。完ぺきにやろうとすると、ストレス、プレッシャー、もう前の晩が、こう見えて結構気がちっちゃくて寝れないんですよ。もう肝心な舞台になればなるほど、寝れない、寝付けない。
で、コンディション悪いじゃないですか、それで舞台に臨む。それわかっているんだけどそうなって、そういう怖いことのくり返しですよね。まあ失敗することも稀にありますしね。やっぱり翌日のその舞台が世界中大地震で舞台なくなっちゃえばいいなとか、本当にそういう変な考えを思ったりとか、もう逃げ出したくってしょうがないっていうのが毎回ありましたね。
由結:どうやって克服されたんですか。
石山:そうですね。言ってみれば今でも自分が主催をするような会は気張ることが多いんです。それで結構未だに不眠みたいになっちゃうんですよ。乗り越えてないって言えば乗り越えてないんですけど。ただその怖いと思うことは非常に重要なのかなと。慣れが禁じ手っていうようなところがあるので、もう前やってるから、何十回もやってるから大丈夫だよと思うと、やっぱり舞台が気が抜けていく感じがありますね。
面をつけるとき=外の世界とのお別れ
由結:なるほど。そうなんですね。少し話は変わるんですけれども、スタジオに面が並んでいます。本当に貴重なものですよね。この面をおつけになったとき、ご自分の中で何か変化はあるんですか。
石山:まあありますね。装束をどんどん重ね着していった中で顔だけ残っていて、最後にこの面をつけるので、外の世界と最後のお別れっていうんでしょうかね。
由結:なるほど。もうここで遮断されるというか。
石山:そうですね。それとやっぱり圧倒的に何の役なのかっていうシンボルみたいなものですよね。この顔につけるというのが。それによって、もう自分、石山裕雅さようならみたいな感覚です。
由結:そうなんですね。なるほど。そのときは何も考えてないというか、どういう気持ちになっているんですか。
石山:そうですね。まあ何も考えてないっていうのは非常に理想的な、無我の境地ですね。なかなかそうもいかないですけど、作為をいれないっていうのは心掛けてますね。いわゆる現代劇の人間を演じるっていう場合は、いろんな役を作るんでしょうけども、基本的に神々を演じるときは、厳密には演じるというよりも、その神になるというか、神の型の通り舞うっていうんでしょうかね。自分はこう、器になっているだけですね。なので、中の自分の感情とかいろんなものは明け渡してしまうというか、空っぽにして、そこに何か神の御霊が、魂、入ってきてくれればいいかなというような感じですね。
伝統を後世に伝えるために工夫してきたこと
由結:すごく奥深いんですね。そのときにはもう自分とは離れている状態ということですよね。「神楽」というと特別なものという感覚を私たちは持っています。後世の方たちに受け継いでいくために何か工夫をしていらっしゃるのでしょうか。
石山:そうですね。本当にこれは工夫というか、心を砕いているというか、一生懸命どうやったら通訳できるのかということを考えておりますね。子どもたちに「神楽っこ」というネーミングで神楽をなるべく簡単な形でエキスを伝えるみたいな、そういう教育というんでしょうか。地域の教育。実際に舞台に上げたり、また大人にもわかりやすく伝えるというか、体験の講座についてもいろいろとやっていますね。
由結:そうですか。神楽に触れたとき、お子さんの表情はどのようになるのでしょうか。
石山:まあ、この子どもというのはみんな神様だなって思うような、大人にはとても出せない表情というか、魂そのものの無垢な感じっていうんでしょうかね。固定観念も少なくて。そういう子どもたちこそやっぱり神楽っていうのは非常に似合うっていうんでしょうかね。
100年後も残る神楽を目指して
由結:太夫は、今後の夢はどんなふうに考えてらっしゃいますか。
石山:そうですね。やっぱり私の亡き後ですね。亡き後、100年後に神楽が立派に残っているってことが一番の夢ではあるんですけれど、自分の生きてる中で目の黒いうちに、もうできることまでなんとか「神楽っこ」
とか大人に対しても後継者とかいろいろ舞台とかそういうのをちゃんと残していく。そして神楽もしっかり伝承して、作品を確かな形で残していく…と。
由結:そうやっていろいろな工夫を重ねられて、もうこれから先のことを見据えてらっしゃるということですね。ありがとうございます。この度、「人生を豊かにしてビジネスともかけ合わせる神楽道場 」
をスタートされたそうですね。こちらについて教えていただけますか。
人生を豊かにしてビジネスともかけ合わせる神楽道場
石山:はい。自分には神楽興味ないとか、あるいは関係ないとか、なんでもいいんです。伝統芸能みたいな、全然敷居が高くて私とは全く無縁だなと思う人ほど向いてると私は思っておりまして、要するにかけ算なんですよね。その人が例えば左脳タイプだったとするじゃないですか。右脳的な考え方はできない。そういう人が芸能芸術とかを体験とかやられると、左の脳と右の脳がうまく連絡しあって、今までないアイデアが浮かんできたりとか、そういう現象も生まれると私は思っているんですよね。今までいろんな方にお稽古つけた経験ですね。
ですので、これはその人の人間開発、例えば今私が教えている国際弁護士の方がいるんですけど、国際弁護士の方が神楽をやっているんです。ロータリークラブで笛を吹いたりしますと、非常に国際弁護士の中でも目立つ存在になりますよね。日本人としての国際弁護士ですから、世界のいろんな方と接する中で、じゃあ日本人っていうようなものを示せれば、もうフックになって特徴があって、特別唯一無二の国際弁護士になれると。そういう後押しもできるのかなと。
由結:そうなんですね。自国のことをしっかりと身につけた状態で発信をするという。素晴らしいですね。そんな体験講座もスタートしていますので、こういった詳細を見たいという方はどういうふうにしたら検索できるんでしょうか。
石山:そうですね。今のところ、『Facebookのようこそ体験さん太夫KAGURA道場』というグループがありまして、そこをちょっと見ていただけると石山裕雅のFacebookにもそのままリンクして投稿もしております。
由結:太夫、ご出演ありがとうございました。
石山:ありがとうございました。
由結:また来週もよろしくお願いいたします。
石山:よろしくお願いいたします。
銀座ロイヤルサロン2週目
革新の曲“急乱拍子”
由結:さあ、お聞きいただいた曲は『急乱拍子』でした。演奏いただいた本日のゲストは武州里神楽十世宗家家元石山裕雅太夫です。本日も2週目ご登場いただいております。よろしくお願いいたします。
石山:はい。お願いいたします。
由結:さあ、今お聞かせいただいた曲なんですけれども、『急乱拍子』というだけあって、とてもスピーディーな感じの曲ですが、これはご自身が作曲なさったものなのだそうですね。
石山:そうですね。これは武将が鬼を退治して凱旋して帰る場面なんですが、通常は古典の乱拍子っていうのがあって、それを使っていたんです。でも、それは曲中でもところどころで使うので、またその曲を使うのは嫌だなと。いかにも凱旋しているような曲をないかなということで自分で考え出したんですね。実用的に、本当に古典化しておりまして、我ながら名曲だなと思っております。
由結:本当に素晴らしい。今お使いになった笛は?
石山:能管です。お能で使うんですが、里神楽でも使うんです。
1分でわかる里神楽の解説
由結:里神楽について知らない方も多いと思いますので、わかりやすく教えて頂けますか。
石山:そうですね。まさにこのわかりやすく伝えるって一番難しいというか、私の大きな役割だと思うんですが、まず天岩戸のお話をご存知かなと。ご存知ないとちょっと説明しにくいんですけれども、岩戸の前でアメノウズメノミコトが舞い踊ったっていうのが神楽の始まりと言われているんですね。つまり、神様に向かって見せたり舞ったりしていた芸能なんですね。
それがだんだん時代を経るごとに神様を背にして人に伝える。舞うところを見てもらうように変化してきたわけですね。今も神様だけにお見せするっていうジャンルの神楽の形態もあります。そういう曲もあるんですけれども、里神楽と言いますと、人に楽しんでもらうという形態になりまして、私が神楽とは何ぞやということで絞り出した言葉としますと、「神に祈りを、人には祝福を」
という芸能ですと伝えるんですが。
由結:神に祈りを、人には祝福を。
石山:そうですね。神と人の間に立っている存在している芸能で、神様には祈りであったり感謝、そういうものを伝えつつ、人には祝福を。例えばお正月で言えば、お正月おめでとうというような、そういう縁起の良さをお伝えするとか、ご利益感とか、また清めはらいみたいなそういうものをお伝えするとか。
由結:なるほど。とってもわかりやすいですね。舞われるときに、神に奉納するということですが、どういった心持ちでおこなっていらっしゃるのでしょうか。
型を学びつくして型を制する
石山:そうですね。これは先週も少し触れさせていただきましたけれど、まず自分の作為を入れないで、自分をなるべく空っぽにするってこと大事で、そこに神様の役を入れるということ。これはある程度その型どおりやっていればそれになっていくんですよね。ですから、型をちゃんと学びつくして、型を制する。その先に誰がやってもって同じじゃあれなので、その人の個性みたいなのがにじみ出てくるっていうことは大事だと思うんですね。これが一種の型破りですよね。型をもう学びつくしたからこそ型を破れる。型なしとは全く違っているんですね。
由結:まず型が大事。知らなくてやることはできないということなんですね。太夫が工夫してらっしゃることはあるのでしょうか。
神楽のルーツ=縄文時代
石山:はい。この神楽っていう芸能はこの日本のこう長大な歴史の中でも根幹になる一つのパーツだと思うんですね。何しろ芸能の原点になっていますので、さらにその神楽のルーツを辿ると、縄文時代に行きつく。
今日お持ちしているのも縄文時代の土面です。土の面を復元しまして、神楽で、縄文神楽という形で新しいジャンルで人様にごらんいただいてるんですけれども、その縄文という中に1万数千年も続いておりますので、その中のこの今の日本に通じるおおらかさとか、言葉ができてからは例えば『和を以て貴しと為す』って聖徳太子がおっしゃった。でも言葉のない縄文時代にも言葉がなくてもそれは実践されていて、だからこそ1万数千年も続いてきて、後の今この3000年ぐらい続いている日本の国の中で、今度は神楽という、だんだんこう整理された形で芸能が続いてきて、その中にやはりこの縄文であったり日本らしさっていうか、そういうものが永久凍土みたいな感じで保存されていると。
由結:なるほど。素晴らしいですね。面が並んでいるんですけれども、その中の一つにある縄文時代の面、よく見てみるとお鼻が曲がってるんですね。
石山:今の感覚だとこれ失敗作じゃないかっていうか、鼻曲がっちゃってるよねってなりますが、もう明らかにこれわざと鼻を曲げていて、目も高さも違っていて、いびつな顔というか、個性的な顔。本当に遊びがあるっていうことですよね。みんな違っていていいじゃないかっていうのを形として表していると。これが仮面でありますので、これ恐らくその当時の神楽の原型としてこの使われていたと思うんですよね。なので、この鼻が曲がっている面が舞ったりしていれば、もうそれは無言の中に個性がある。それぞれ違っていていいっていうものを発信している。それを感じ取った縄文の人たちがいて、争いを避けて、正しさよりやっぱり面白さを追究している。その大らかさがこの1万数千年続いた縄文で、我々のDNAの中に一番色濃く残っているので、本質的に日本人は争いを好まずに和を以て貴しと為したいと思っていたと考えられます。
由結:素晴らしいですね。それがこの面にも込められているということですね。
縄文時代って本当に最先端だったんですね。
石山:そうだと思いますね。
由結:里神楽は現代社会でも使えるという魅力がありますね。
神社に行ったときの祈り方
石山:そうですね。里神楽をやっている中で、素晴らしいんだろうって思う感覚が舞わないとわかんないとか、吹かないとわかんないってそういう部分が実はあります。
例えば神社と神楽ってすごく密接に関わって、神社の中から生まれてきたっていうところがありますが、皆様が神楽はやらずとも神社に行かれたときに何をお願いするかということ。今皆さん聞かれていてどう思われますか。何をお願いしますか。
これは自分のお願いをするんじゃなくて、三つのことを。まずは生かされていることの感謝。二つ目は利他の祈りですね。例えば世界が平和でありますようにとか。そして三つ目は、自分のお願いではなくて、自分の誓いという形に変換します。例えば大学合格しますようにというのが、私は何々大学合格しますので神様見ていてください、見届けてください、と。そしてこれは自分への誓いにもなるわけですね。
そしてそれを達成したときにはまた神社に赴いて報告をするんですね。神様のおかげで見守っていただいたおかげで見事合格しましたとか、誓いを達成することができましたとか、そうやって神楽の素晴らしさっていうのを一般の中では神社参拝などの行為の中に翻訳、変換するということなんです。
由結:いや~大変勉強になりますね。それでは最後にリスナーの皆様に向けてメッセージをいただけたらと思います。
里神楽は能や歌舞伎と根幹が同じ
石山:はい。ありがとうございます。この里神楽というのは皆様あまりなじみがないと思います。能とか歌舞伎とどこが違うのと思う方も多いと思います。これは似ていて当たり前なんです。根幹が神楽というものがあって、そこから枝分かれして、時代時代に能とか歌舞伎とか里神楽とか生まれてきたので、根幹が同じなんです。つまり親戚みたいなものなので、全て似ているんですね。それは日本の風土の中から生まれ育ったので、当然似ていて当たり前なんですね。ただそれぞれ個性があって、先ほどの縄文の土面の話じゃないですけど、それぞれ個性があっていいわけですよね。
この里神楽は能とか狂言より、もっとこう、庶民的に神社でごらんいただくこともできますけども、やはり、見るより一回やってみましょう。そうしますと、いろんな風景が違って見えると思うんですね。世阿弥も『離見の見』という言葉を残されています。離れて自分を見るっていうことですよね。今までやったことがない。全然私には関係ない。興味がないと思うことほどやってみると、大きなかけ算、大きな答えが出るんじゃないかなと思います。体験講座をやっておりますので、ぜひ私の道場に、道場破りに来ていただければと思います。
由結:素晴らしいメッセージありがとうございます。
石山:ありがとうございます。
由結:この体験講座そのものが人生を豊かにしてビジネスにも使えるといいますか、かけ合わせることができるということですね。ぜひ皆様チェックなさってみてください。2週に渡りまして、素晴らしいお話をありがとうございました。大変勉強になりました。
また来週も出ていただけるということですので、楽しみにしております。ありがとうございました。
石山:ありがとうございました。
声解析・声診断とは
由結:さあ、本日は声診断コーナーです。ユウキアユミワールドアカデミー学長の稲井英人さんが担当するコーナー。これまでに2万人以上の臨床データのある声診断ソフトにより、ゲストの方の声の波形を読み取り、その方の個性と能力を紐解いていきます。それでは、本日の武州里神楽十世宗家家元石山裕雅太夫です。よろしくお願いいたします。
石山:お願いいたします。
由結:はい。それでは、稲井学長よろしくお願いいたします。
稲井:では、まず普段の声を録らせてただきますので、これを右耳、そして左耳で入れていただきまして、普通の会話から入りたいと思います。
石山:はい。こんにちは。武州里神楽十世宗家家元の石山裕雅、通称太夫でございます。よろしくお願いいたします。今日は第3週目の収録ということで、また声の診断で楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
稲井:はい。よろしくお願いします。今、ご自身でこの今のお仕事は何年目ぐらいになるんですか。
石山:そうですね。仕事としては20年、30年ぐらいでしょうかね。キャリアは40数年です。
稲井:今後ご自身のお仕事を通じて、こんなふうにしていきたいなという自分なりの夢、ビジョンはどんなものなのでしょうか。
石山:そうですね。SNSの時代ですからね。もう世界中とつながって、この里神楽の素晴らしさ、面白さ、魅力をお伝えして、日本ってすごい国だなって、そういうところを世界に発信したいですね。
稲井:はい。ありがとうございます。さあ、たくさんお声を録らせていただいたんですが、このように、12色の色と波形で出てくるんですね。最初の自己紹介のときのお声、それから今何年ぐらいやってる、将来のビジョン、こういうふうにしゃべっていただいたんですね。実はこれ人間の形、こんなふうに出てくるんですね。人間の体は楽器なので、その楽器がどこが響いてるのか。しゃべりをドレミファソラシドに置き換えています。
人を巻き込むパワー!ライムグリーンの声
稲井:太夫、やはり人を巻き込むパワー炸裂です。これ何かと言いますと、このライムグリーンっていうところ。これは自己価値が高くてご自身がおしゃべりになると周りを巻き込んでいくエネルギー、パワー、すごくあるんですよ。
舞台に立つ方には必須!イエローの声
稲井:このイエロー、黄色の部分ですね。これはやはり光が強い。舞台に立つ方っていうのはやっぱりこのイエローというのがありまして、芸能人の方に多かったり、お笑いの方に多かったり、自分の我が道を進んでいく方にこういう色が多いんです。ご自分を声が、そのイエローがあると、周りを引きつけることができるんですね。
ビジョンを語るとき…ネイビーブルーの声
面白いのが、将来どんなふうにしていきたいかをお聞きしたときに、ビジョンを語りましたね。すると、このネイビーブルー、これ第三の目のところですね。直観力、未来を見通す力。そしてこのバイオレット。
これが百会のツボ、頭頂部ですね。ある意味天とつながるというところでもあるんですが、未来を考えたとき、これが客観的に見る、聞く、感じるという三つの感覚のうちの、非常に見て、未来を見通すぞというエネルギーが非常に強くなってきたんですね。
この内面、この内側の層が内面、太夫の体の内側がどう響いてるかなんですね。となってくると、この内面が変化していくのおわかりになりますか。
石山:はい。
稲井:自己紹介のときにはこのライムグリーンと、グリーン、イエローがドーン。私はこうだっていうのがしっかり出てて、そしてどれぐらいやってるかってなったときに、ご自分の中で前よりも考えてしゃべり始めた。見て分析を始めた。
右脳的感性のアクアブルーの声
稲井:これからの未来に関して見ると、このアクアブルー、これが右脳的な感性なんです。だからゼロから作り上げる能力。未来こんなふうにして作り上げていきたいっていうふうなエネルギーが非常に強くなってきたんです。
しかもこの第三の目のものが一番濃くなってきましたね。そして、このマゼンタピンクが世のため、人のため。あるいは人類のためじゃないですけど、そちらに向かったエネルギーが非常に強くなってきた。
そして、このイエローの部分なんですけど、やっぱり一番この中間層から内側から、そしてゴールドっていうんですが、信念の部分、非常に強くなってきてるんですね。やはり、ご自分のやることをしっかり腹を据えて、そして世のため、人のために動いて、人類に何か活かしていきたい。
この一番深い部分見たらまたマゼンタピンクっていうんですが、一番強くなってきたでしょ。この神楽を通じて、ご自身をどのように自己実現していくのか。どれだけ周りに貢献できるのか。そういう声だというのがわかりますね。
太夫の謡の声を解析
稲井:今度は謡のお声をお聞かせ頂きます。多分強烈な音だと思いますので。
石山:じゃあいきますね。少し控えめにいきますか。
稲井:そうですね。
石山:じゃあ参ります。
稲井:…はい。ありがとうございます。すごい。とりわけ強く出てきたのは何とグリーン。これは思いっきりハート、胸のあたりが、ファーッと解放されて、周りと調和しているんです。そして、ちょっと大きくしてみましょうかね。イエロー、ライムグリーン、そしてブルー。ブルーのところは表現、伝えるというところでもあります。
そして内側。今の謡をしていただきますと、周りとは調和、そしてみんなシーンと静まるみたいです。そして、自分の軸が戻ってくる。その場を整えて、非常に冷静に俯瞰して自分を見るような状態に皆さんがなると同時に、みんなの軸が整っていく。そして、ある意味で、この自律神経のところなんですが、体ももとに戻るかもしれない。自然治癒力があるかもしれません。そういうような響きかもしれませんね。
ご自分で感覚どう思われましたか。
石山:そうですね。この今謡った『八雲立つ』というのは、家の先祖が氷川神社の神主をやっておりまして、その氷川神社はスサノオノミコトなんですよ。神様。その謡なので、何か自分の故郷というんでしょうかね。自分の守り神でもあるんですが、そういうものに抱かれて、自分が謡っていながら自分がその声に包まれていくみたいな、そんな感覚を持ちますよね。癒しを感じるというか。
稲井:なるほど。はい。そしたら、そのグリーンって、周りにご自分がやっていきながら解放されていく。つながっていく。そういうところなのかもしれませんね。
石山:はい。
稲井:いやー。いとおかし。興味深いですね。
由結:いやー。素晴らしいですね。この太夫のお声のパワーですよね。この感じられるエネルギーの秘密が明らかになったなと思いますね。そして謡、素晴らしいですね。本当にお聞きしていて、本当に自分が整った気がしました。
稲井:はい。本当に場が一つになっていく。調和していく。自分を取り戻す。我が国日本に最も必要な響きです。
由結:その通りですね。太夫、3週に渡りましてご登場いただきまして本当にありがとうございました。最後にご感想いただけますか。
石山:そうですね。本当3週に渡って、様々な切り口で私を分析していただきまして、ありがとうございます。本当にこう舞台で演じるだけでなくて、こうやって言葉としてお伝えしないと、もうなんか陸の孤島で神楽やってるみたいに、ガラパゴスみたいになっちゃいますからね。いかに語り部としても自分がわかりやすく人様にお伝えできるかということを、また影響力のある人間になって、どんどん巻き込める人間になってまいりたいと思いますね。3週に渡ってありがとうございました。
由結:はい。ありがとうございました。
稲井:ありがとうございました。
石山裕雅太夫のプロフィール |
無形文化財「武州里神楽」石山社中 十世宗家家元 石山裕雅 太夫 創始300年、四世紀に亘り武蔵国に里神楽を相伝してきた無形文化財「武州里神楽」石山社中の十世嫡子として生まれ、八世政雄・九世大隅に勲陶を受ける。 「若山社中」丸謙次郎、長唄三味線・今藤長由利に師事。四世家元 若山胤雄に勲陶を受ける。能楽観世流シテ方・遠藤喜久に師事。各神社、大河ドラマ、CM、歌舞伎座、国立劇場、水戯庵、アートアクアリウム美術館などに出演。 里神楽の笛、太鼓、舞など全役を演じ、他分野の一流プレーヤーとの創作、共演など芸域の広さと深い見識を有する。 CD「笛の季節」「和を以て」リリース。主催公演多数。平成30 年度文化庁芸術祭に参加。 神楽フード・グッズのプロデュース、オンラインサロン運営、日本道・日本学ユニバーシティなどに講師として参画。 |