梅若マドレーヌさん『レバノンから来た能楽師の妻』著者「I did it my way!」
目次
レバノン共和国について
由結:さあそれでは本日の素敵なゲストをご紹介いたします。本日は、レバノン人であり能楽師梅若猶彦先生の奥様でいらっしゃいます、梅若マドレーヌ様にお越し頂いております。そして、梅若猶彦先生にもご同席頂いております。本日のテーマは「レバノンから来た能楽師の妻」です。マドレーヌさんは英語でお話しくださいますので、ぜひ梅若先生には通訳をして頂きたいと思います。
梅若:出来るかどうか分かりませんが、よろしくお願いします 。
由結:はい。よろしくお願い致します。さあ、ということで、リスナーの皆さんはレバノンという国についてどのくらいご存じでいらっしゃいますでしょうか?ぜひマドレーヌさんにレバノンという国、どんな国なのか教えていただきたいと思います。
マドレーヌ:はい。こんにちは。 マドレーヌ梅若です。よろしくお願いします。
Lebanon is relatively a small country but it has a long history. It goes back to the Phoenician and if you know, the Phoenician are the one who invented alphabet.
梅若:レバノンは比較的小さな国で、もちろん歴史もあって、フェニキア人の国だったわけです。それで、フェニキア人はアルファベットを発明した民族でありました。
マドレーヌ:We are on the Mediterranean so the Phoenician had to go and do business with tree. With the cedar tree and 船, then that’s how we are in a very good position.
梅若:地中海がございますので、フェニキア人が活動、船で移動してビジネス、商人として活躍しやすかったということと、また、レバノン杉というのが非常に有名で、これを色々利用していろいろな事が可能だった。
由結:なるほど。
マドレーヌ:Yes we have so many invasions by that time, Roman and all this. But then the most important is we are half Christian, half Muslim. This make it a bit complicated but we are very multicultural.
梅若:宗教的なことで言いますと、イスラム教とキリスト教が共存していた国であったということ。ただ、内戦が結果的にはあって、もちろん今戦争は終わってますが。
初めて日本に来たときの印象
由結:なるほど。 初めてレバノンから日本に来た時の印象はいかがでしたか?
マドレーヌ:Yes, What happened is, I have a sister who met a Japanese husband in Lebanon before the war, the civil war. So, when the civil war started, we came to Japan. And that’s the main reason of coming. Escaping the war.
梅若:私が日本へ来たのは、内戦が勃発して非常に危険な状態だったから来た、避難してきたわけです。それも家族で、父親と母親で来たんです。姉が日本人と、内戦勃発する前に結婚しておりまして、ですから、姉と義理の兄のもとにやってきたわけです。
マドレーヌ:Yes, and then Kobe is very similar to Beirut. Beirut used to be called Paris of the middle east. So, the seaside and the mountain, I was very happy to be coming to a sage country and live again, my life.
梅若:神戸はレバノンと似てて、レバノンは中東のパリなんていう風に昔は言われてたわけですけど、内戦の前には。ですので、気持ち的にも非常に神戸が気に入ってたということと、また平和であるということが何よりもいちばん重要なことであったのです。
マドレーヌ:and I loved Japan from the first time I arrived and I was facinated by the culture, the safety, the service. Many things attracted me.
梅若:もちろん最初からもう日本は来た時に非常にサービスから、それから国民性から、もちろん先ほど申し上げたように平和・安全であるということで、最初から非常に感動しております。
能楽師の妻になって大変だったこと
由結:なるほど。日本にお越しになって、そして能楽師の奥様になられたということなのですが、能楽という世界は日本人でも難しいと感じる方もとても多く、しきたりもとても多いように思います。そのような中でご苦労なさったことや心がけたことはありましたか?
マドレーヌ:Well, when my husband proposed, he told me not to worry about the protocol and etiquette and all this because I was very worried. In fact, he didn’t ask me to do anything and to be myself and that helped a lot.
梅若:結婚するときに少し不安もあったらしいです。しきたりや非常に深い歴史がありますから能は。ただ、私(husband)に、しきたりとか、決まり事に対してあまり要求されなかったというとこが、かなりリラックスした要因ではあります。
マドレーヌ:At the beginnig, I started wearing kimonoto to blend in and tried to follow but then I realized the most important thing was to introduce Noh to foreigners and take Noh abroad.
梅若:最初は着物を着たりして一生懸命やっておりました。ただ、途中から私の仕事というのは外国人の人たちにお能を紹介することなのだという風に自分で考えて、そのように活動、それを中心に活動するようになりました。
マドレーヌ:So, at the beginnig, I opened up all the VIP rooms and invited all the diplomats and so on. People were not happy about it but that’s how we managed to take Noh abroad many times.
梅若:能楽堂によっては後ろの貴賓席みたいなものも設定されているところもあって。正面の奥の、かなり見にくいところだったりしますが…。そこを開けてもらったりして、外交官の方々各国の大使に来ていただいて。ある方の目には余計なことをしているな、みたいに映ったかもしれませんけども、私なりに頑張りました。
マドレーヌ:Yes, you see, why I am speaking now English is, one of the reason is, there are many reasons but one of the reasons is that I was feeling pressure that I have to talk in a very keigo and polite way and be a bit different of my personality. So, I tried to survive, I tried to say I cannot do this. So, I had to compromise to keep my identity and be able to function.
梅若:日本で難しいこととして、やはり日本語の敬語の難しさが挙げられます。外国人にとってはそんなに簡単でにできるものではないのです。これについてはかなり自分に圧力や不安がありました。今でも比較的非常に難しい問題と言えるでしょう。
子どもの教育で心掛けたこと
由結:なるほど。実際に日本の社会の中で、マドレーヌさんはお二人のお子様のお母様でもいらっしゃるわけなのですが、多様化の時代、教育の面でもとても難しい時代だとも言われています。そのような中で、日本のお母様も悩みを持っていらっしゃる方たくさんいらっしゃるのですが、国をまたいで教育を行ってこられたマドレーヌさんは、なにか心がけたことや大切になさっていたことはありますか?
マドレーヌ:Talking about education? Yeah, you know, we are living in a globalized world and so I wanted my kids to fit. It’s a very competition world and so that’s why I tried to make them as much bicultural or bilingual as possible. I had a hard time but it was worth the effort.
梅若:教育についてですか?昔から言われてるかもしれませんけど、なんていうんですかバイリンガルというか二か国語が話せるとか、ある方は3か国語・4か国語ってそういう時代ですし、だから出来るだけそれを担保して、なかなか大変だったことは大変だったけど、一応そういう教育はしました。
由結:選択肢も沢山あったと思うのですが、 それはご夫婦で話し合われたんですか?
マドレーヌ:I’ve tried to put my daughter for instance, first at Wakaba Kai in order to go to the escalator school but I saw that she was a tom boy and could not fit at all. So, I had to put her in international school and then we went to England for 4 years. So, really had a lot of change to adapt to make fit.
梅若:娘の事に関しますと、ちょっと男っぽい女の子で、幼稚園は西麻布にあります、若葉会幼稚園って、三井さんが作られたところで、朝「ごきげんよう」「おはようございます」っていうところで。そこへ入れてあげたんですけども、ちょっとやっぱり娘が男子っぽい性格で、そこは卒業したのかな?まあとにかくイギリスに行ったりして色んな教育を受けさせてあげることができました。
マドレーヌ:Then we went to England for 4 years, came back. It was very hard to adapt but well, anyway I managed.
梅若:イギリスから帰国して1994年に帰ってきて5年から小学校に入れたんですけども、ちょっと最初慣れなかったみたいです。
マドレーヌ:But very important thing, I wanted them to have Japanese identity because they are Noh players and they participate with my husband. So, I made them put in Japanese school to learn Japanese.
梅若:アイデンティティとしてはやっぱり日本人であってほしかった(私も日本に帰化しています)。だからそれをベースに日本の学校に、小学校に入れたんです、二人とも、帰国してから。
今後仕事や家庭で目指していきたいこと
由結:なるほど。その教育の甲斐もあってご立派にお育ちになられたのですね!今後マドレーヌさんがお仕事やご家庭で目指していきたい姿というのがありましたら教えてください。
マドレーヌ:Well, I learned one thing. I did computer science but I ended up doing the Noh out of my love to Noh and to help my husband. So, I really think people should follow their passion and I encourage my kids to follow their passion.
梅若:ちょっと本にも書かせていただいたんですけども、一応コンピューターサイエンスをやって、それを途中で退学して、お能の方に入って…という経歴を持ちます。能をプロモートしたいという情熱が湧いてきたのでそれをしました。だから、息子・娘が情熱、自分の気持ちに忠実にやっていって欲しいと、生きていって欲しいと願っています。
著書『レバノンから来た能楽師の妻』出版
由結:なるほど。ありがとうございます。さあそして、梅若マドレーヌさんのご著書「レバノンから来た能楽師の妻」というご本が出されていますが、お書きになった感想はいかがでしたか。
マドレーヌ:Yes, I was very lucky that editor at Iwanami was very interested in my story and yes, so I wanted to encourage people to appreciate Noh. And this is one of the reasons I wrote it to see hard they train and how harsh the disciplines they have to follow.
梅若:岩波の編集者の方が非常にご理解のある方で、まず興味を持って下さったことは幸運なことでした。それから私が書いた理由としてやっぱり能をもっと皆に知ってもらいたい、それから内部の部分、修行も厳しいものであるみたいなことも少し書かせていただきました。
由結:とても素晴らしいご本ですね。是非たくさんの方にお読み頂きたいと思います。そして、もうひとつ、映画「明日になれば」というものも、これはマドレーヌさんがなんとプロデューサーを務められたというものですよね。こちらもご紹介をお願いします。
マドレーヌ:これは, As you know, nobody knows about Lebanon in Japan. So, my daughter, filmmaker as well, she wanted introduce Lebanon in a cultural way. And that’s why we did it together.
梅若:レバノンは日本であんまり知られていない国でもありますので、娘がドキュメンタリーとしてこれを撮って、自分がプロデュースした形になりました。
由結:こちらもぜひ皆さまご覧になっていただきたいと思います。それでは、梅若猶彦先生、そしてマドレーヌ様、本日は本当にありがとうございました。
梅若:ありがとうございました。
マドレーヌ:Thank you for having us.
由結:ありがとうございました。
梅若マドレーヌさんのプロフィール |
レバノン、ベイルート生まれ。英国レディング大学でコンピュータ・サイエンスを学び、優等の成績で理学士の学位を取得。大阪大学大学院情報工学科入学中退。その後、東京大学大学院情報科学研究科(研究生)で研究を続ける。日本や世界各地で新作も含んだ能の舞台公演のプロデュースにかかわり、能の普及に務める。レバノン国内の活発な芸術文化活動を取り上げたドキュメンタリー 映画『明日になれば』ではプロデューサーを務め、同作品は 2015年にレバノン文化省より文化推進功労賞を贈られた。 |